【天気の子】監督が「悪役」?これは人間への警鐘なのかしら?

前回のブログの内容と同じような内容だけど言い方変えてみます。。。

「天気の子」に対する皆様の反応を見ていると戦争、暴力は絶対ダメと言う「押し付けの平和教育」は限界なのだなと感じます。そのような教育が本当に効果的なら須賀さんが称賛される筈です。廃ビルでの須賀の言動を思い出してみましょう。彼がやっていたことは・・・

・帆高に「話せば分かってもらえる」と言って出頭を促したり突入して来た警察官に「ちゃんと説明しますから」といって彼らをなだめたりして対話での解決を試みた。

・「だいたいさあ、あんたらだって酷えだろ!?」と警察の実力行使を批判した。

・あの場で一人だけ武器を持たず両手を挙げ人間の盾になっていた。

と模範解答的な行動をとっていますね。もしも「押し付けの平和教育」が正しいことを言っていて人々が受け入れているなら彼に共感が集まる筈です。そして邪魔者扱いされることに非難の声が上がる筈なのです。

そういう風にならずに拳銃をぶっ放す家出少年に共感が集まるのは何故でしょうか?須賀さえも暴力を振るってしまいますがこの行動はどう評価すべきでしょうか?そして何故私たちはこんな作品に熱狂的になれるのでしょうか?

 と言いつつ著者も熱狂的になっている一人です。なのでこの作品がおかしいと言って思想を押し付けようとかは考えていません。むしろこの作品を見ていてスカッとしました。昔考えていた事をしっかり代弁してくれた作品です。
Ad




 でも冷静になって考えると怖い作品でもありますね。喧嘩って痛いし怖いですよね。それに人が死んでいた可能性もありますよね。

 では暴力沙汰にならないために帆高が大人しくしていれば良かったでしょうか?それもなんだか許せないでしょう。陽菜一人が人柱になっている状況は残酷な現実です。

 そう言うなら話を着けてから救出に向かうのもありなのではないでしょうか?でも話して通じますでしょうか?

 この作品や皆様の反応から何が学べるでしょうか?これは架空の話なのでまだ良かったとして現実世界について考えるきっかけになればと思います。

 人間というのは理不尽に追い詰めると暴力を使ってでも実現しようとする正義に熱狂してしまうという生き物のようです。これは国同士の問題なら戦争に発展しかねないですね。そういう危うい深層心理が私達にも存在していたということでしょう。だからこうも熱狂的になるのでしょう。

 こんな生き物だからこそおかしな状況を作らないという事が必要なのではないでしょうか?この作品の世界で暴力が肯定される根拠は何なのでしょうか?理不尽な圧力、大人への不信感等々様々です。それに気が付いて行動していれば帆高は追い詰められる事無く殴り合いも無かったかもしれません。

 もしくは喧嘩を避けて我慢するくらいなら殴り合いでもなんでもやってしまった方が良いでしょうか?理不尽な事を放置するくらいなら快刀乱麻してしまったほうが良いという考えもあります。下手したら死にますけど。

 こうして考えていると「押し付けの平和教育」、「絶対に」戦争、暴力はいけないと強要するのはかえって息苦しいので共感が得られていないのではないかと思います。また、この作品に熱狂してしまう私達ですからそれをうまく機能させられない可能性を孕んでいるとがよく分かったと思います。ちゃんと機能してたら須賀さんが称賛されあの展開に批判が殺到するはずですから。

Ad




 それにしても新海監督の本心が分かりません。まさか本気で戦争を望んでいるわけではないでしょう。最大のパートナーである野田洋次郎さんが「戦争はいやだ」とツイッターで繰り返してます。彼が映画に協力しているところからもわかります。とてもぶっ飛んだ考え方で気を悪くされるかもしれませんが監督は「悪役」を演じているのかもしれません。盲目な一般市民を催眠術で操っていて最後に我に返る展開を望んでいるのかもしれません。あくまで「役」ですから本物の悪魔と違って世界征服とかは考えていないでしょう。逆に本物の悪魔のとんでもないことに加担しかねない人間の本性に気が付かせる意図が有ったのかもしれません。そうでもなく監督自身答えが出ていなくて、自分の立場は悪役なのかとかも判然としていないのかもしれません。そして見た人たちに考えてもらう為の作品なのかもしれません。

本物の悪魔、正体は何でしょうか?人そのものなのか経済的な環境なのか天気なのか。

 歴史が繰り返される不安を完全に取り除くのは難しいかもしれません。しかし、その芽を少しでも摘み取る事は出来るのではないでしょうか?帆高を追い詰め観客を熱狂的にしてしまった原因は一体何でしょう?理不尽や不信感等々が作中で募っていたと思います。今一度作中や身の回りのそれらについて検証してみては如何でしょうか?そうすれば無用な争いの回避に繋がるかもしれません。

Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

私達は戦争を止められない事があると思う。 「天気の子」って熱狂的になっていいの?

 私達は約80年前に生きていたら戦争を止められなかった思う。「天気の子」に対する皆様の反応や社会の空気を見ているとそう感じる。

 廃ビルでの須賀の言動を分析すると作品の恐ろしさがよく分かる。彼がやっていたことは・・・

・帆高に「話せば分かってもらえる」と言って出頭を促したり突入して来た警察官に「ちゃんと説明しますから」といって彼らをなだめたりして対話での解決を試みた。

・「だいたいさあ、あんたらだって酷えだろ!?」と警察の実力行使を批判した。

・あの場で一人だけ武器を持たず両手を挙げ人間の盾になっていた。

 つまり反戦、平和運動の見本市になっていた訳である。

 そんな彼が正義の味方である主人公を裏切ったり見捨てたりした人とされたり、最終的には上手く行かず彼自身も暴力を振ってしまっているのだ。平和的な解決手段が機能しない中各々が「正義」に向かって突き進み衝突しているのだ。衝突の規模が10人にも満たず小さく幸いにして死者が出なかったから良かったものだがこれを国同士でやってしまったものが戦争なのだ。果たして、私達はこんな映画に熱狂的になって良かったのだろうか。

 大東亜戦争はアジアの解放が目的であった。当時、欧州の列強諸国はアジア、アフリカの大半を植民地としていた。そしてその土地の人々を人間扱いせず働かせ搾取していた。そして日本にも大陸の権益に関し不平等な扱いをしたり石油の輸入を断ったりして追い詰めていた。それを打開しようと反撃を開始したのが真珠湾攻撃であった。だから日本としては理不尽に追い詰められたのだから従うのはもっての外で反撃することが正義だったのだ。国民もこれを信じ熱狂的になり加担していった。一方米国や列強諸国としては「当時の常識」から強い者(国)が支配して当然なので「こんにゃろう」ということになった。こうして平和を維持するための国際連盟も機能せず戦争に突入していったのだ。結果として多大な犠牲を払ったが植民地支配に終止符を打つ事に繋がった。
Ad



 こうして見ると「天気の子」と戦争は本質的に同じで帆高に賛同する事は戦争に加担したのと共通する面があるように思える。だからと言って帆高が捕まったり出頭してしまったらどんな結末が待っているかと想像すると無念な結末であっただろう。結果的に死者が出なかった「天気の子」の作中の事件にしても植民地支配を終わらせたあの戦争にしても本当にあれで良かったのだろうか。私は結論を出せず悶々としている。

 この映画は今も昔も変わらない、「平和ボケ」と言われる日本人も持っている人間の性を炙り出しているのではないだろうか。追い詰められると平和的な手段が機能しなくなり「正義」に熱狂的になってしまう人間の性を。「知らんぷり」を続ける恐ろしさについてより深く考えさせられる。

Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

東京タワーVSスカイツリー? そして田端とお台場のヒミツにも迫ってみた。 天気の子考察

一部のファンの間で「新海タワー」と呼ばれているのは代々木にあるドコモタワーです。何故か新海作品で何度も登場するタワーで最近作「天気の子」でも当たり前のように背景にあります。

一方で今まで意識されなかったけれど「天気の子」で目立つタワーがあります。東京タワーと東京スカイツリーです。この二本のタワーについて見ていこうと思います。
東京タワー

有限会社K&Aプランニングにあるテレビはアナログテレビです。今時アナログの機器を使っているなんて。しかもアナログ放送終了寸前に作られたものではないですか。そこまでしてアナログ放送にこだわって今でもおそらくチューナーを使って使い続けているのは不思議な人です。アナログ放送の電波塔である東京タワーとの繋がりを感じます。

「晴れ女」の力を借りて娘と遊んだ場所は芝公園。東京タワーのすぐ近くです。彼にとって特別な日をそこで過ごそうとはとことん東京タワーが好きなのですね。

スカイツリー

田端駅南口を出てすぐの例の坂から堂々と見えますそんな場所に陽菜は住んでいます。
そして重要なシーンである陽菜が正体をカミングアウトする場面や再会はスカイツリーが見守る中で行われるのですね。

立花家(実家)である曳舟は東京スカイツリーのお膝元。ここで迎え火を跨ぐのです。陽菜たちの母親の初盆です。陽菜のチョーカーの青い石の持ち主が帰ってきたのですね。陽菜の能力に何か影響していそうです。そんな儀式を執り行ったのもスカイツリーの目の前です。

東京タワー VS スカイツリー

3人の逃避行が始まり天候が荒れに荒れるシーンで二つの電波塔が対峙します。東京には他にも高い建物がびっしり立ち並んでいますがなぜかこの二つだけが強調されています。単なる風景描写ではなく何某かの作者の意図を感じます。「晴れ」と「雨」稲荷系の自然霊と龍神系の自然霊の対決という解釈でどうでしょうか?東京タワーは赤い太陽の色で前述の通り須賀との繋がりが強そうです。須賀は晴れ男と考えられるので東京タワーも晴れと関係が深そうです。スカイツリーは冷たい印象です。前述の通り陽菜との繋がりが強そうです。陽菜は雨女と考えられるのでスカイツリーも雨と関係が深そうです。

聖地巡礼報告!これだからこの場所が聖地になった!?

お天気ビジネスの依頼第一号の場所はお台場です。先日聖地巡礼してきました。そして 祈った場所に行ってみたら合点がつきました。あの場所は二つの塔が同時に拝める場所なのです。都内はビルが密集しているのでこんな感じで見える場所は珍しいのではないでしょうか?

スカイツリーがはっきり見える場所はいろいろあります。ではなぜ田端なのでしょうか?実際に行ってみて興味深いものを発見しました。田端八幡神社の境内にある 鳥居いかにもという感じです。赤い鳥居は稲荷神社鳥です。青い鳥居は富士山信仰の鳥居です。山神様は水神様の性格もあるのでまさに「晴れ」と「雨」ですね。

そして近くには水稲荷という神社もあります。 晴れなのか雨なのかどっちもつかずですね 。

シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

「天気の子」の正体は現代版「破戒」からのどんでん返し!?もう一つの「選択」とは?  考察してみた

 新海誠監督最新作「天気の子」は前回大ヒットした君の名はと同じく興行収入100億円の大台を突破しました。過去の新海作品のそれを見るとこの二作が飛び抜けているのです。言い換えればこの2作だけが特にメジャーな作品です。そのせいか2作だけの近くが話題になりがちです。しかし、「天気の子」と共通点が見つかるのは「星を追う子ども」なのです。それについて解説していきます。
Ad




※以下星を追う子どものネタバレもあります

 「星を追う子ども」の内容をさらっと書きます。死者の復活を目的に地下世界に入り込みその方法を探りますその過程で歴史背景や血筋を理由に攻撃されたり死者の復活の可否をめぐって対立したりする話です。攻撃される理由はアスナにとって生まれる前の出来事で且学校の授業でもまだ学んでそうにない年齢なので知らない歴史が原因。兎に角理不尽なのです。だから「天気の子」と同じく大人の事情で子供が追い回される物語でもあるのです。

その中で二人の登場人物の立場や思考行動がよく似ていますシン君と須賀さんです。大人の事情を理解しつつも悩み抜いた末に真っ直ぐな子供の味方をするのです。

・シンくんは大人の事情からアガルタ人として地上人を排除しなければならないと教えられなかっていながらも明日菜を助けます。
・須賀さんは大人の事情を考えると穂高は出頭すべきなので廃ビルで説得しますが最終的に強行突破を手助けします。

 次に池袋のホテルの風呂桶の形がアーモロートの村の長老の家の風呂の形そっくりです。大きな円形です。また凪君がスイッチをいじることによって異世界感が醸し出されるのも地下世界に行ったみたいです。入浴後に食事という流れも同じですね。

イケメン男子と長い髪とひらひら

シュンくんシンくんのイケメン兄弟は髪が長いです。時代設定が1970年代なので吉田拓郎辺りのイメージを考えるとその時代の流行という事ですね。そしてアガルタ人はマントをひらひらさせてことが多いですね。凪君もイケメンで現代にしたら髪が長いです。そしてテルテル坊主の衣装をひらひらさせています。天野凪というキャラクターはアガルタ人を連想させます。

・登場人物の名前は
明日菜(「星を追う子ども」の主人公)と明日香(須賀の亡き妻)の名前が似ていますがあまり重要ではなさそうですね。森嶋(穂高)と森崎(先生)は森がつくもの同士ですね。これも考えすぎかなでも「森」を取ったら「嶋(島)」と「崎」で「嶋(島)崎」ですね偶然かもしれませんが・・・。

 以前に指摘したとおり「星を追う子ども」は「破戒」(島崎藤村)との類似点が見られます。それだけに島崎が出てきた時はモヤモヤとするものを感じました 。

そこで「破戒」と「天気の子」の共通点も挙げてみます。先ず理不尽に追い詰められる人々の立場に立って作品が書かれた当時の社会に問題を問いかけています。「破戒」は部落差別天気額は子供の生きにくさを描いています。そして当たり前のことに疑問を投げかけています

次に同じ立場の人に影響されて動く物語であります「破戒」は自らが新平民であることを明かし活動する猪子先生に影響され主人公も出自を明かし社会に対峙します。先生から勇気を貰う訳ですね。

こうやって昔の似たような作品に想いを馳せると本当に昔から狂っていたのだなと実感が湧きます
Ad




二つの物語のラストは正反対です

「破戒」☞丑松は日本社会を脱しテキサスへと旅立ちます
「天気の子」☞帆高は東京で生きていくと決意します

不利な扱いを受けた者が逃れるという選択をしなければならない、又は留まるという選択をすることができるかその違いです。

然し、よく考えれば帆高達は一度逃れるという選択をしています。天野家のアパートには警察がやってくるし帆高は退職金を渡された直後のシーンです。逃れると言うかことで解決するという丑松と同じ洗濯をしているのです。

小説版では3年後に再び東京に向かう帆高が当時の出来事に思いに耽っています。8ページ後半から9ページにかけてのシーンです。池袋のホテルから、つまり逃れるという選択から何も変わらないままそこから日常が始まるのではないかと空想し我に返って別の選択をしたことに気が付くのです。そして決意を新たにするのです。

「天気の子」とは現代版「破戒」からのどんでん返しともいえるのでしょう。作品が書かれた時代の「損な役割を背負っちまった人間」が逃げるところまでは共通していてそこからひっくり返したのです。

過去作の「星を追う子ども」では過去のもの、別世界のものとして描かれていた狂った社会を現代のものその世界のものとして立ち向かっている点では「破戒」と並びました。そこからさらに別の選択肢を可能性を提示した作品とも言えるでしょう。ただ越えてはいません。そう言ってしまうと逃げるのが得策なケースに心理的負担になりますので優劣を付けるのは宜しくないと考えます。


Ad




シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

「天気の子」考察 須賀本人が晴れ男!

須賀は晴れ男です。奥さんは知りません。だけど須賀本人は晴れ男なのです。だから廃ビルことも分かっていたのでしょう。

その根拠はこちらです。
「稲荷系の人の特徴」と須賀さん。
占い師の婆さんが言う稲荷系の人の特徴から考えてみましょう。

「勤勉でビジネスでも成功しやすい」☞ビジネスを3年後に成功していましたね。近辺か仕事やる気をやっていたので成功しているということは3年間は真面目に働いていたということでしょう。居留守を使わせたりパチンコの列に並ばせていたのを見るとチャラい人にも見えます。でも人間だもの、さぼりたい時もありますよ。

「気の弱いところもあるのでリーダーには不向き」☞禁煙に失敗してタバコを吸ってしまうところがあります。気が弱いですね。「ダッサイおっさんだニャー」とアメ(CV夏美さん)にも言われてしまう始末。3年後は社長ですが従業員は少なく皆で一斉に動くことは少なそうな仕事です。
Ad




「借金率、自己破産者数、失踪者者数は有意に高い」☞有限会社K&Aプランニングの元々バーだった事務所の家賃の支払いが滞っていたようです。お金に困っていました。そして須賀は家出した失踪者ですね。

こうして見るとほぼピッタリ当てはまりますね。

何故あの時晴れた?

あればおそらく須賀の能力でしょう。フェリーで帆高を救った後急に晴れます。その時の須賀さんの神々しさといったら。

もっとすごい須賀の能力

その能力のせいで大きな矛盾が発生します。空模様と人間の気持ちが一致しないのです。問題のシーンは「風たちの声」が流れる、帆高の K & A プランニングでの生活が描かれる品です。疾走感のある音楽と共に帆高達の充実した日々が映し出されます。とても楽しくワクワクするシーンですね。しかし天気は雨。一瞬白い光が差してくる箇所が何回かありますが晴れることはなく青空は一切映し出されません。曲の入りで映し出される空からどんよりとした雲だらけ。楽しい生活を予感させるのは普通は青空ですよね。「空模様」と「人の心」が一致していないではありませんか!!散々関わりがあると言っておいて何なんでしょうがこれは!!

須賀の周りは何故か晴れ
Ad




何故でしょうか?彼の周りだけ腫れているのは。そこが彼の本当に凄いところですね。天候系の能力は最小限しか使わなくても晴れにすることができる晴れ男。これがなのでしょう。帆高も小説版の63ページで分析しているように人に接していること。(ということは夏美さんは晴れ女なのでしょうか?)そして居留守を使ったりパチンコ屋で息抜きしたりしたりと堅苦しい完璧人間でないこと。(ちょっとサボり過ぎてしまったみたいですが)他にも晴れ男要素を見いだした方もいらっしゃるかもしれません。天空が狂った世界の中で太陽のような人ですね。シャツの色は太陽の色なのかしら。


Ad




なるほど、そう思わせれるような人格者を作り上げた訳ですね。

そして天野姉弟の後見人になったという説もあります。これも狂った世界、ルールでがんじがらめの世界で幸せ(晴れ)になる方法ですね。須賀らしいといえばそうなります。
Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

陽菜ちゃん雨女説についてさらに詳しく掘り下げてみた

Ad




このツイートには目から鱗です。確かに冷静になって考えれば稲荷系の自然霊は出て来ません。そして祈る時も雨を撥ね上げている、つまり雨を操っている訳です。

 また、雷を落とす事が出来るという点も雨女の能力でしょう。雷神は古くから水神の属性を持っています。
 占いお婆の言う女の特徴の一つに大雑把な性格というのがあります。あのチャーハンは計画性なくアパートに有ったものと帆高の手土産をフライパンに投入しています。最後のネギなんて最たるものです。

一方廃ビルの神社は稲荷神社です。朱い鳥居がその証ですね。晴れ女に憑いている自然霊ですね。そこで空と繋がり「晴れ女」になったのです。
 また稲荷神社のご利益は即効性のあるけれど長続きしないという特徴もあります。「晴れ女ビジネス」は一時依頼が殺到し利益を出しますがすぐに休業、事実上廃業になってしまいます。

・職業適性からズレた職業の選択
 陽菜にとっての晴れ女ビジネスはそういうことであったのでしょう。本当の適正は雨女なのに晴れ女をしていたのです。儲かるし自分が必要とされるので輝いていますがやはり性に合わないのでしんどくなるのです。
 同じような立場なのが夏美さんです。彼女もまた職業適性に悩みます。就職活動を始めるもなかなか内定を貰えません。仮面のような化粧をしてリクルートスーツで街をぐるぐるする日々が続きます。そんな中で「バイクで派手に走り回る機会」を得て「これだ!」と気が付くのです。
 彼女の場合就職に漕ぎ着けていませんが自分の適正に合わない事にしがみついて疲弊してしまったことには変わりありません。

・飛ばされるシーンの解釈

 予告編でも使われている田端の坂道で突風に襲われ陽菜が舞い上がるシーンの解釈です。端的に言うと晴れ女と言うを化けの皮剥がされるシーンなのです。須賀の晴れ女の依頼の後二人アパートに向かっている最中の出来事です。晴れ女をしていた時のままの服装です。赤系の暖かみのある色の上着です。それが飛ばされいつものノースリーブの姿を帆高が目にする訳です。帆高に素の自分を見せるのです。そのような感じです。

Ad



漠然とした憧れ  消えてゆく想い~過去作の人々

新海作品の中で何かに一途でそれを真っ直ぐ一生かけて何かを成し遂げようとするのは孝雄くらいなものです。大抵どこかで躓きます。

「秒速5センチメートル」

貴樹は一度退職しダメになります。切実だった思いが途切れてしまいます。あの会社に通い高層ビル群と言う「遠く美しい何かに向かって進んでいる」気分に浸るのに疲れてしまったのでしょう。

「言の葉の庭」

 雪野はキラキラとした世界の一部になりたかったけれど不登校になってしまいます。

「君の名は。」
 高校生の頃かそれ以前から新築にあった瀧は就職活動で建設業を中心に面接を受けます。しかし、上手く行かずよく分からない会社のサラリーマンになります。そしてそんなことどうでもよくなるようなラストに至ります。

 「天気の子」ですが光のさすキラキラとした世界(=廃ビルの神社)に惹かれそこで空と繋がります。そして晴れ女になるも挫折してしまいます。

 新海監督作品で前からのパターンなのです。未視聴の方は是非ご視聴下さい。

Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

トリエンナーレの過去の展示の派生作品がパチンコ店に!韓国と繋がってる?

慰安婦像とか表現の不自由展とかで問題になってるあいちトリエンナーレですが6年前にはこのような展示がありました。

ヤノベケンジ氏のサンチャイルドという放射能まみれになった世界で生き延びる防護服を着た子どもの像です。これがトリエンナーレの顔でした。私が撮影した画像もある筈ですが出て来ないのでTwitterの投稿を紹介します。吹き抜けのエントランスの真中にあって上から見ると睨まれているようでした。こんな地球にしあがってという意味でしょうか?

Ad




 そしてこれが福島で騒動になったようですね。絶望的に汚染されたという設定ですから復興に向けて努力している被災地からするとその思いが踏みにじられているのですね。流石にまずいでしょう。

で、何でこれを今更問題にするかというとコチラ。名古屋市内にギンギラ銀のサンチャイルドが有るのです。

ウルトラサンチャイルドという名前です。変身というかサイボーグ化というかそんな感じでしょうか?この設置場所が問題なのです。

Ad



御覧の通りZENTというパチンコ店の駐車場にあります。朝鮮系の企業ですね。一体どういうきっかけがあってここに設置されているのでしょうね?

そして今回の慰安婦像の件。韓国のプロパガンダ丸出しの展示ですね。

あいちトリエンナーレって一体なんなの?韓国と繋がりがある洗脳工作なの?

折角なので写真大量に貼っときますね。

Ad



Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

「天気の子」と「原爆の子」 「天気の子」考察&レビュー其の三

 一部の人たちの間で予告編を見て原爆の話ではないかと囁かれていました。その根拠になっているのは

・雲の形が引き抜く雲みたい
・冒頭の陽菜が降りてくるシーンで雲の間から東京の街が見え始める場面。そこで切り取られた東京の街は中洲の部分で広島ぽく見える
・赤く燃えた太陽が臨界状態の原爆にも見える
・雨から黒い雨を連想させられる

 以上の点です。しかし、封切られてみると原爆に一見関係のない内容で以降立ち消えになっています。しかし、「君の名は。」も226事件や大東亜戦争時の東京への空襲更にはホロコーストに結び付くのだからよくよく見たら何かしら戦争等人類の悲しい歴史に結びつくのではないかと。

 結論としてはやっぱり原爆の話であろうと考えられます。陽菜のモデルは「原爆の子(の像)」ではないでしょうか。
・ツインテールである
 原爆の子の像はツインテールである
・晴れを祈っている
 原爆によって空が穢されないように祈ってるのですから青空を祈ってるとも言えます

参考リンク「広島広域観光情報公式サイト『ひろたび』 原爆の子の像」
Ad




 という共通点があります。原爆の子こと佐々木貞子さんをはじめとする戦没者は平和の人柱とも言えるでしょう。彼女たちの犠牲から得た教訓から反戦とか核廃絶とか言った運動につながるのです。或は原爆が落とされたから先の大戦を収束する方向に向かったと考える人もいます。犠牲の上に成り立つ平和なのです。そして平和な世の中で暮らすというだけで人柱に頼ってしまっているのです。
 当然彼女たちにも家族や友人がいるのです。誰かの大切な人、帆高や凪にとっての陽菜のような人なのです。そんな人が原爆の子として平和の人柱になっている。それにしても何故彼女なのでしょうか。理不尽な問いです。そして彼女だったから私たちは生きているのです。私は被爆3世だから祖父が原爆による病を発症していたら存在すらしなかったのかもしれないのです。そうならなかったから今があるのです。平和の青空というのはこうして出来上がったものですね。なんだか罪深く感じます。私たちは只々晴れを喜んでいた人たちと同じではないでしょうか。
 アニメの世界の帆高は羨ましいです。人柱だった陽菜を取り戻すことができて。佐々木さんの同級生だって同窓よりも 本人だと思っているでしょう。貞子さんも平和のアイドルみたいなことをやめて普通の女の子に戻りたいでしょう。だけど現実はそうはいかないのです。映画はどうしようもない現実への慰めでもあるとはこういうことでしょうか。
 そう考えると「天気の子」のラストの東京の姿が清々しく思います。人間が手を加える前の姿に戻し人類の忌々しい歴史を丸ごと水に沈めてしまう。それで上等なのではないでしょうか。
Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

新海さんは「ポスト寺山」「アニメの寺山修司」 「天気の子」考察&レビュー其の二

「家出」と「線路のダッシュ」は寺山修司が映画作品の中で何度も用いたネタです。人力飛行機プロダクションのお家芸とも言えるのです。新海監督の過去作でも修司ネタが見られます。「雲のむこう、約束の場所」では特に修司ネタを多用しています。
・飛行機を作って飛んで行こうという発想が人力飛行機と同じ
・われに五月をの様に少年時代が失われた喪失感と5月の風の中で新たに歩みだそうとする様子が描かれています
・最後に優雅に飛んでいるヴェラシーラは「5月の鷹」を思わせます
・変形させた理由は鷹が羽搏いたり滑空したりする様子を再現するためでは?
・ひろきが好きなさゆりが死んだようになくなり新たに目を醒ます様子は 寺山修司五月の詩を思わせます
・舞台が修司の故郷青森
 長くなりましたが私が気づいた点は以上です

「君の名は。」でも
・スマホの日記が消えるのは修司の「消しゴム」のように記憶の忘却を表す。
・「名前は!?」と叫ぶ箇所が「書を捨てよ町へ出よう」の冒頭っぽい。

 そして修司も新宿を好んで作品の舞台にしています。
なんといっても修司の創作の範囲は広く数も膨大なため私もまだそのほんの一部しか触れられていません。他にも探せば見つかりそうです。


Ad




 さてようやく天気のこの話になります予告(予報)を見ただけで如何にもという感じでした。線路を雲に向かって走っていくカットを見ていると「人力人力人力・・・人力飛行機!」という叫び声が聞こえてきそうです。

・線路走り
 書を捨てよ町へ出ようでは普通に都電の線路を走っています都心で線路を走ると言えばこれでしょうまた田園に死すでも田舎から出て行こうとして線路を走ります
・家出
 修司は家出に憧れていました。「家出のすすめ」なんていう著書もあります。夏休みの読書感想文で題材にしたら勇者になれるような内容です。いかがでしょうか?映画「書を捨てよ町へ出よう」や「田園に死す」の主人公も家出をしたい、家族との関係を断ちたい人達ですね。「天気の子」を見ていましょう。帆高は言うまでもなく家出少年です。陽菜も家出するのですね。帆高に連れられて帰ってきた時チョーカーが壊れます。青い石は元々母のブレスレットに付いていたものです。母の形見です。だからそれが壊れるのは母親、家との何らかの関係が絶たれることを表しているのではないでしょうか。
・田舎から飛んでいく夢
 「書を捨てよ町へ出よう」で田んぼの真ん中で人力飛行機で飛んで行こうとする夢と「天気の子」の離島で自転車を漕いで光の中に行こうとする夢この二つが似ていると思いませんか?都会が舞台の作品の合間に故郷から飛び出そうとする夢を挿入しているのです。
・音楽とのシンクロ
修司の作品も音楽と登場人物の心境をしっかりリンクさせています。新海作品もこの辺りはこだわっていますね。RADWIMPSの曲は画面に寄り添っています。
・小説の指マーク
 小ネタです。小説「天気の子」の113ページに出てくる指マークですが「田園に死す」に登場するマークに似ていますね。三沢市では文学碑への道しるべにも使われています。

Ad



・実験映像
 寺山修司は実験的革新的な映像を作り続けた人です。「書を捨てよ、町へ出よう」を立ち見ても変わった視界の使い方やカメラワークが見られます 深海 監督はほしのこえをほぼ一人で作り上げた革命児でその後も輪郭線の処理や雨の表情などといったところで常に新しい手法に挑戦している人です。

 こうして見ると新海誠監督は「ポスト寺山」とか「アニメの寺山修司」とも言えるでしょう。
Ad




アマゾンのリンク張っておきます。是非寺山ワールドもご堪能ください。





Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

「銀河鉄道の夜」に匹敵する名作なるか!? 「天気の子」考察&レビュー其の一

 公開から一週間が経ちますます熱を帯びる「天気の子」(新海誠)私は初日0時からの世界最速上映と9時からの一斉上映の2回拝見した。内容が濃すぎて一瞬たりとも退屈させない映画であった。前作の「君の名。」はと比べ薄暗くほろ苦い印象である。そして胸を打つ余韻が大きく人間の力強さも感じさせられる。
 遅くなったが私もレビューとか考察とかを書こうと思う。

「天気の子」と宮沢賢治

 新海監督の作品には宮沢賢治の作品の影響と思われるシーンが多い例を挙げると
・「星を追う子ども」でシュンが星に手を伸ばすも落ちていくシーンは「よだかの星」のようである
・「君の名は。」のカフェになったバス停は宮守のバス停である賢治が「銀河鉄道の夜」の着想を得たのは宮守の鉄橋である。
・「君の名は。」の片割れ時のシーンは「シグナルとシグナレス」に酷似している

等々多数挙げられる。(以前書いた記事です)(これは宮沢賢治の世界そっくり。

・「銀河鉄道の夜」の余韻に挑戦?
 「天気の子」は「銀河鉄道の夜」に余韻 の大きさ結論の出ない問いかけという点が共通している。「幸い」とは何であろうか、自己犠牲は正しいのか美徳であるのか。その問いをはっきりさせないままに余韻を残し終わっている。新海は賢治を超えたか。少なくとも比較の対象として問題ないレベルであると思う。

Ad




・平和ボケと世界情勢を描いているようにも見える。
 宮沢賢治も天候操作を行う作品を書いている。「グスコーブドリの伝記」である。これを読むと如何に現代の東京が日本が恵まれているかが分かる。天候不順は凶作につながり飢饉を引き起こす。本来はそういうものである。しかし「天気の子」では気分を左右するものに留まっている。それを自然に受け入れている。受け入れるなんて呑気なもののように思える。だが小説版では帆高が農学を志すだけに物語の世界を蝕んでる問題のようだ。まるで日本人との戦争のようだ。戦争など過去の事で普段は大して関係のないことである。日常のこと、身の回りの事、近くの大切な人のことを考えていたらすぐに埋もれてしまう問題だ。しかし地球上では争いが絶えず日本も巻き込まれるような事態に少しずつ繋がっているのかもしれない。そんな気もする今日の世界情勢にも似ている。

Ad



シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。