五所川原駅観察

 五所川原駅は津軽鉄道との結節点である。地域のターミナルという感じだ。前述の高校生は大半がこの駅で降りて行った。
 ストーブ列車の影響かレトロな印象がある津軽鉄道だが普段使いの車両は新しめな印象だ。と言っても平成時代を通り過ぎているのでそこそこの車齢であろう。「走れメロス」の文字がでかく描かれている。側線にはキハ20型の車両が捨てるに捨てられないという雰囲気で留まっている。塗装も色褪せて了っており生気が無い。然しレトロな車両とローカル線の取り合わせは落ち着きのある輝きを放っている。
 この五所川原駅でも長い時間停車するので軽く駅観察。跨線橋を渡ったら太宰治を推している駅舎があり、おやおや津軽鉄道と書かれてある。そう、跨線橋はJRと共用であるが駅舎は別々なのだ。

 JRの駅から外に出ると田舎の駅にありがちな商店の無い広いスペース。昔は賑わっていたのだろうか。今では朝この時間帯は高校生が沢山で賑わっているようだが昼はガラガラなのだろうな。コンビニも徒歩10分程の所にしか無く淹れたてコーヒーの購入は断念。駅の中には土産物も売っている商店はあった。
 改札を入った処にはドーンと五能線の鳥観図が有る。何と険しいローカル線なのだろうか。遂に来て了った。ここで発車時刻も迫ったので列車に乗り込んだ。

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川部駅訪問記

 ホームにやって来た列車には「快速」の文字があった。何と東能代まで直接行けるのだ。濃紺のボックスシートで寛ぐというのも素晴らしい休日になるだろう。だが、駅巡りもしてみたい。

 乗り通すかどうかはさておき取り敢えず乗車。この便の次は翌日待ち合わせの新潟迄乗り継いで辿り着ける最終便。それでは一度降りたくなっても降りられない。

 発車までのんびりと食べ物とかを並べて準備完了。途中駅まで大勢人が乘って来そうな気もしない事無いがその時はその時だ。
 列車は奥羽本線を走り撫牛子駅を過ぎ川部駅へ。ここから五能線に乗り入れる。停車時間が長いので一度降りてみた。「五能線終着駅」とある。路線の裏側から潜入。一寸ドキドキする。駅舎は古めかしい木造駅舎。ローカル線らしさを醸し出している。そして駅前にお宝級のコンテナが置かれている。懐かしい「サークルK」のマーク。どのように使われていたかは分からないが懐かしいデザインだ。

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 列車はいよいよ五能線へ。客の数はまばらでボックス席の確保も問題無い程。ローカル線らしくて良いのだがせめて平野の区間はもっと乗客がいないと経営の面で心配になる。
 奥羽本線とは木々で隔てられており分岐してすぐ五能線の世界へと入って行く。この瞬間の車窓が旅情溢れている。進行方向右手側の車窓に津軽富士が姿を現す。目の前にはりんご畑が広がる。そしてそちらの方へ向かって行く列車の鋼体も力強い。真正面に見える訳ではない。その所為で汽車旅であることを思い知らされる。
 沿線の小駅は降りたらりんごの風がそよそよしていそうな良い感じの駅ばかりだ。降りてみたい気もするが鯵ヶ沢迄は本数が多そうなのでまたの機会でも良さそうだ。その小駅からの乗客もちらほらいる。その殆どが高校生だ。
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このタイプの乗車券に育てられた世代~遂にさようならレールウェイカード

昨日令和元年9月30日はレールウェイカードの改札機での利用の最終日でした。これは私にとっては大事件だと感じました。ぶっちゃけた事言うと梅田駅の改名よりショックです。

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このレールウェカードの前身は「ラガールカード」等の「スルッと関西カード」です。祖父母宅が関西にあるのでよく使いました。難波駅迄近鉄で出てそこから往復丁度千円でしたので一枚使い切る事が出来ました。それから「涼宮ハルヒの憂鬱」の聖地巡礼でも駆使しました。阪急甲陽線沿線の駅名が裏面にぎっしりになりました。

地元名古屋の「ユリカ」は勿論持ってました。アレがあったから科学館とか交通局のイベントとか自由に行けたのです。小学生くらいの頃に登場して二十歳の時にICカードに移行したのでした。

そんな感じなのでこのタイプの自動改札機に投入できる乗車券に育てられた世代と言っても過言ではないと思うのです。正に魔法の絨毯みたいに何処にでも連れて行ってくれたのでした。ICカードに他社がどんどん移行していって「スルッと関西カード」が廃止になっても最後まで阪急HDがレールウェイカードという形で残してくれた時はホッとしましたが時代の流れに抗えず廃止という流れになってしまいました。

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そういう訳で最終日は乗りまくりました。前日まで北海道に用事があったので伊丹空港に降りてモノレールで山田駅まで。ちょっと気になった駅です。そこから何となく能勢電鉄なるものに乗ってみたくて乗りに行きました。電鉄と言うのに相応しい生活感がありますね。そして平野駅から甲陽園駅へ。わかる人にはわかると思いますが甲陽園駅は「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台で前述のとおり思い出の駅でその主演の声優さんが平野綾さんなのです。それを裏面に刻印。それから梅田駅に出てから何となく御堂筋線と北大阪急行線、モノレール線経由で山田駅まで出て北千里駅まで乗車。北千里駅と言えば日本で初めて自動改札機が導入された駅です。いわば自動改札機の聖地でしてその歴史の節目に当たる日という訳で行ってみました。そこから梅田に行ける最終列車に乗車。降車駅にHK梅☒の刻印。いざその日が来てしまうと時代の真中に取り残されたみたいですね。

誤解の無いよう念の為、残高が残っているカードは券売機で切符の購入に使えますし払い戻しもできるそうです。詳細は公式な案内をご覧ください。

とは言うものの未だこのタイプの乗車券が残っていますね。京都府交通局の「トラフィカ京カード」です。運賃が高いですがプレミア付きなのでよく使う人はこれを駆使すればよいかと思うのです。他に残っている業者はないでしょうか?情報頂けないでしょうか?


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撫牛子駅訪問

 駅のそば屋も開いていない弘前駅の静かさが心地よい。電光掲示板を見るとなんと丁度五能線鯵ヶ沢行きの発車時刻ではないか。階下のホームからエンジン音が無情に響いてくる。ちゃんと時刻を調べて来れば一駅巡る事が出来ただろうに。
 次の列車迄弘前でじっとしているのも何なので奥羽線の駅を巡る事にした。撫牛子駅(ないじょうし駅)。何でもないコンクリートの小駅である。駅の周りは住宅が多く日常に溶け込んでいる。地方の駅では結構重要な存在ではないだろうか。こうやって活用されていると私も活き活きした気持ちになる。

 そして駅裏は田畑になっている。朝日が昇りキラキラと照らしている。これぞ「青天の霹靂」の大地の朝だ。無理してでも来る価値がありそうな旅になりそうだ。
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 長い鉄路の向こうからいつもの電車がやって来た。ここから五能線のヨンマルに乗れない事も無いが始発の弘前から乗りたい気分だ。旅の序章は朝日と共に輝いている。

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まさかの一旦帰宅からの夜行バスで強行軍したという件

 お馴染みしんかんせんスゴクカタイアイス。前の記事をお読み頂いた方はお気付きかもしれない。「北海道&東日本パス」では新幹線に乗れない筈なのだ。なのに何故これが登場するのか。実は一度名古屋に戻っていた。急な用事が出来て了い東京ではうどんを食べてコーヒーを買っただけで折り返し。出費が痛い。新幹線で急がずとも友人との待ち合わせには間に合う。然し、初めての五能線は矢張りヨンマルで味わいたい。そこで新幹線と夜行バスで昼夜問わず駆け抜け当初の計画に追い付こうという訳だ。アイスで気を取り直して行くぞ五能線。

 夜行バスは上野駅から出発する弘南バスの「パンダ号」。4列シートのトイレ無しの車両で二台態勢。相当需要があるようだ。流石東京である。それが満員なのだから大したものだ。

 バス停の位置は直ぐ判ったがバス停の目の前のコンビニで支払いをしようとしたら上手く行かず戸惑った。そこで慣れた方が気を利かせて教えて下さったのが助かった。ありがとう先輩!

 車内は一通りのアナウンスが終わると消灯。未だ22時くらいなのに皆静かだ。カーテンは閉められていて外は見えないし特にやる事は無い。明日の朝も早いので寝よう。

 一回目の休憩は佐野サービスエリア。聞いたことがある名前だと思ったらストライキで有名になった所だ。売店もレストランも営業はしているようだった。噂通りラーメンが有名でそれに因んだ商品が多い。
 折角だから隅っこにある階段を駆け上がってみた。そうしたらサービスエリアの建物が有った。どうやら上り線のものらしい。

 その後車内に戻りひたすら寝た。二回程休憩は有ったが車内に残った。
 翌朝の弘前の空気はほんのり秋が薫ってすがすがしい朝であった。やわらかく輝く山の端に見とれながら駅へとのんびりと向かった。

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うどんとコーヒーで一服です。

 静かに出て行った回送列車を見送った後はホームのそば屋に行った。新幹線の改札内に入る事は少ないので行ける時に行っておいた。一店舗しかなくだいぶ探した。なかなか渋い暖簾の店である。店内はスーツを着たサラリーマンで一杯だった。私はかけうどんに生卵をトッピング。呑んだ後はこれが良い。この店の名物であるカツうどんにも合いそうな濃いめの出汁だ。そして、歴代の車両の写真が飾ってあり、時が止まったような安心感がある。

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 その後向かった半蔵門にあるコーヒー屋さん。ジュピターズコーヒーロースターズさんである。新海監督のアニメーション映画「君の名は。」や「天気の子」等の制作会社の社長さんが常連さんで映画のポスターが贈られている。そして新海作品の制作に長年携わって来た西村貴世さんのパラパラまんがも置いてある。近くに本社があり最近までスタジオもあったそうだ。
 この日は豆を購入。看板商品らしい「ブラジルショコラ」にした。「これから先」が楽しみである。そしてドリップコーヒーで一息入れる。酸味に刺激されたい気分であった。
 こうして東北、青森へ行く準備は整った、筈だった。

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残り一往復!700系こだまに乗ってきました。

 こだま号の主力車両であった筈の700系が風前の灯だ。JR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」の設定がある列車は一日に一往復しか無い。

 今回の旅のメインはJR東日本の快速列車にひたすら乗る事である。また「青春18きっぷ」の期間が終わっているので「北海道&東日本パス」がお得である。そこでそのフリーエリア迄の移動手段も兼ねて700系に乗車したのだ。

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 乗り換え時間5分、しかも若干遅れている。例によってギリギリになって了った。普通の切符では無いので焦ったが何とか間に合った。幕式の行先表示機に出迎えられいざ700系の旅へ。今回はグリーン車。「ぷらっとこだま」の場合普通車と千円しか差が無いから快適な割にお得である。座席の色は落ち着きのある深い緑色。クッションはやわらかめで時代を感じる。最近の流行は人の形に沿った固めの座席である。
 そして窓が大きいのには改めて感動した。これ位の大きさがあると景色の見え方も違ってくる。
 重ためのモーター音を響かせながら速度を上げて行く。高くツーンとした最新型の音が聞こえない。これもまた懐かしい。
 時折カーブで車内に揺れが伝わる。大したことのない揺れであるがN700系に慣れて了うとどうも気になる。確かに技術は進歩している。そういえば300系は時折前後の車両がゴツンとぶつかるような音もしていたな。旧い車両に乗ってこそ判る違いである。

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 こだま号は停車駅が多く通過待ちのための停車時間が長いイメージがあったがこの列車は一本だけの通過待ちが殆どだ。他の列車の本数が少ない時間帯のようだ。だからこそ俊足な新型車両で逃げ切る必要が無く700系での運用が残ったのであろうか。
 今回はまだドリンクの引き換えが済んでいない。なので長時間停車があって欲しかったが仕方が無い。静岡での約5分間の停車時に時計を気にしながらダッシュ。折角なので名古屋で売ってない静岡ビールを選択。ホームから一階下のコンコース迄行っていたが十分間に合った。

 ビールで一息入れている内に細々と停まり最早神奈川県。在来線に比べ何と言っても楽である。三島や熱海で乗り換え無く通過できる。
 新横浜を出たら車窓に多摩川が広がり間もなく品川駅との放送がある。この品川駅の新幹線駅が開業や現在の車内チャイムに変更されたのはこの700系が新型のぞみとして東海道山陽新幹線の花形だった時の事だ。その歴史の重さには感慨深いものがある。そして、もう間もなく終点なのが名残惜しい。

 終点の東京には定刻に到着。そしてすぐに回送列車となる。この一本の運用の為だけにのそりと起きて来たご隠居様のようだ。そして見渡す限りN700系が動いている。

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黄金駅訪問

 近鉄線には何度も乗っている。然し殆どが急行か特急での長距離の移動だ。その為普通列車はなかなか乗る機会が無かった。その為小さな駅はいつも通過してばかりであった。
 「黄金駅」。この日無性に気になった。改元というイベントの神々しさもあり惹かれ行ってみた。
 二両編成の普通列車で特急、急行列車が行き交う近鉄名古屋線に乗り出すのは小舟で大海に漕ぎ出すような感覚だ。同じ路線だがスリルのようなものがある。旅の始まりの高揚感がある駅のポイントの所を抜けた。それを十分味わう事無く米野駅。そして列車の車庫と住宅地を横目に黄金駅へ。これではまるで路面電車だ。沿線の住民がちょっとお出掛けするのに使っているようだ。

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 ベンチに座って令和初の御座候を頂く。やっぱりこの味はほっとする。スナックカーやアーバンライナーが間近で行きかう様子はファンとしては見応えがあるものだ。そして人が集まって来たと思うと普通列車が停車する。住民と阿吽の呼吸だ。

 駅舎の外観も至ってシンプル。普通の小駅だ。駅の周りは昭和の面影が残っている。

 名鉄との連絡切符もあるようだ。無割引だが私にとって珍しいので購入。黄金の文字が小さくなってしまったのが少々気に掛るがこれもまた良し。

 そして熱田神宮へと向かった。
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【天気の子】監督が「悪役」?これは人間への警鐘なのかしら?

前回のブログの内容と同じような内容だけど言い方変えてみます。。。

「天気の子」に対する皆様の反応を見ていると戦争、暴力は絶対ダメと言う「押し付けの平和教育」は限界なのだなと感じます。そのような教育が本当に効果的なら須賀さんが称賛される筈です。廃ビルでの須賀の言動を思い出してみましょう。彼がやっていたことは・・・

・帆高に「話せば分かってもらえる」と言って出頭を促したり突入して来た警察官に「ちゃんと説明しますから」といって彼らをなだめたりして対話での解決を試みた。

・「だいたいさあ、あんたらだって酷えだろ!?」と警察の実力行使を批判した。

・あの場で一人だけ武器を持たず両手を挙げ人間の盾になっていた。

と模範解答的な行動をとっていますね。もしも「押し付けの平和教育」が正しいことを言っていて人々が受け入れているなら彼に共感が集まる筈です。そして邪魔者扱いされることに非難の声が上がる筈なのです。

そういう風にならずに拳銃をぶっ放す家出少年に共感が集まるのは何故でしょうか?須賀さえも暴力を振るってしまいますがこの行動はどう評価すべきでしょうか?そして何故私たちはこんな作品に熱狂的になれるのでしょうか?

 と言いつつ著者も熱狂的になっている一人です。なのでこの作品がおかしいと言って思想を押し付けようとかは考えていません。むしろこの作品を見ていてスカッとしました。昔考えていた事をしっかり代弁してくれた作品です。
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 でも冷静になって考えると怖い作品でもありますね。喧嘩って痛いし怖いですよね。それに人が死んでいた可能性もありますよね。

 では暴力沙汰にならないために帆高が大人しくしていれば良かったでしょうか?それもなんだか許せないでしょう。陽菜一人が人柱になっている状況は残酷な現実です。

 そう言うなら話を着けてから救出に向かうのもありなのではないでしょうか?でも話して通じますでしょうか?

 この作品や皆様の反応から何が学べるでしょうか?これは架空の話なのでまだ良かったとして現実世界について考えるきっかけになればと思います。

 人間というのは理不尽に追い詰めると暴力を使ってでも実現しようとする正義に熱狂してしまうという生き物のようです。これは国同士の問題なら戦争に発展しかねないですね。そういう危うい深層心理が私達にも存在していたということでしょう。だからこうも熱狂的になるのでしょう。

 こんな生き物だからこそおかしな状況を作らないという事が必要なのではないでしょうか?この作品の世界で暴力が肯定される根拠は何なのでしょうか?理不尽な圧力、大人への不信感等々様々です。それに気が付いて行動していれば帆高は追い詰められる事無く殴り合いも無かったかもしれません。

 もしくは喧嘩を避けて我慢するくらいなら殴り合いでもなんでもやってしまった方が良いでしょうか?理不尽な事を放置するくらいなら快刀乱麻してしまったほうが良いという考えもあります。下手したら死にますけど。

 こうして考えていると「押し付けの平和教育」、「絶対に」戦争、暴力はいけないと強要するのはかえって息苦しいので共感が得られていないのではないかと思います。また、この作品に熱狂してしまう私達ですからそれをうまく機能させられない可能性を孕んでいるとがよく分かったと思います。ちゃんと機能してたら須賀さんが称賛されあの展開に批判が殺到するはずですから。

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 それにしても新海監督の本心が分かりません。まさか本気で戦争を望んでいるわけではないでしょう。最大のパートナーである野田洋次郎さんが「戦争はいやだ」とツイッターで繰り返してます。彼が映画に協力しているところからもわかります。とてもぶっ飛んだ考え方で気を悪くされるかもしれませんが監督は「悪役」を演じているのかもしれません。盲目な一般市民を催眠術で操っていて最後に我に返る展開を望んでいるのかもしれません。あくまで「役」ですから本物の悪魔と違って世界征服とかは考えていないでしょう。逆に本物の悪魔のとんでもないことに加担しかねない人間の本性に気が付かせる意図が有ったのかもしれません。そうでもなく監督自身答えが出ていなくて、自分の立場は悪役なのかとかも判然としていないのかもしれません。そして見た人たちに考えてもらう為の作品なのかもしれません。

本物の悪魔、正体は何でしょうか?人そのものなのか経済的な環境なのか天気なのか。

 歴史が繰り返される不安を完全に取り除くのは難しいかもしれません。しかし、その芽を少しでも摘み取る事は出来るのではないでしょうか?帆高を追い詰め観客を熱狂的にしてしまった原因は一体何でしょう?理不尽や不信感等々が作中で募っていたと思います。今一度作中や身の回りのそれらについて検証してみては如何でしょうか?そうすれば無用な争いの回避に繋がるかもしれません。

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私達は戦争を止められない事があると思う。 「天気の子」って熱狂的になっていいの?

 私達は約80年前に生きていたら戦争を止められなかった思う。「天気の子」に対する皆様の反応や社会の空気を見ているとそう感じる。

 廃ビルでの須賀の言動を分析すると作品の恐ろしさがよく分かる。彼がやっていたことは・・・

・帆高に「話せば分かってもらえる」と言って出頭を促したり突入して来た警察官に「ちゃんと説明しますから」といって彼らをなだめたりして対話での解決を試みた。

・「だいたいさあ、あんたらだって酷えだろ!?」と警察の実力行使を批判した。

・あの場で一人だけ武器を持たず両手を挙げ人間の盾になっていた。

 つまり反戦、平和運動の見本市になっていた訳である。

 そんな彼が正義の味方である主人公を裏切ったり見捨てたりした人とされたり、最終的には上手く行かず彼自身も暴力を振ってしまっているのだ。平和的な解決手段が機能しない中各々が「正義」に向かって突き進み衝突しているのだ。衝突の規模が10人にも満たず小さく幸いにして死者が出なかったから良かったものだがこれを国同士でやってしまったものが戦争なのだ。果たして、私達はこんな映画に熱狂的になって良かったのだろうか。

 大東亜戦争はアジアの解放が目的であった。当時、欧州の列強諸国はアジア、アフリカの大半を植民地としていた。そしてその土地の人々を人間扱いせず働かせ搾取していた。そして日本にも大陸の権益に関し不平等な扱いをしたり石油の輸入を断ったりして追い詰めていた。それを打開しようと反撃を開始したのが真珠湾攻撃であった。だから日本としては理不尽に追い詰められたのだから従うのはもっての外で反撃することが正義だったのだ。国民もこれを信じ熱狂的になり加担していった。一方米国や列強諸国としては「当時の常識」から強い者(国)が支配して当然なので「こんにゃろう」ということになった。こうして平和を維持するための国際連盟も機能せず戦争に突入していったのだ。結果として多大な犠牲を払ったが植民地支配に終止符を打つ事に繋がった。
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 こうして見ると「天気の子」と戦争は本質的に同じで帆高に賛同する事は戦争に加担したのと共通する面があるように思える。だからと言って帆高が捕まったり出頭してしまったらどんな結末が待っているかと想像すると無念な結末であっただろう。結果的に死者が出なかった「天気の子」の作中の事件にしても植民地支配を終わらせたあの戦争にしても本当にあれで良かったのだろうか。私は結論を出せず悶々としている。

 この映画は今も昔も変わらない、「平和ボケ」と言われる日本人も持っている人間の性を炙り出しているのではないだろうか。追い詰められると平和的な手段が機能しなくなり「正義」に熱狂的になってしまう人間の性を。「知らんぷり」を続ける恐ろしさについてより深く考えさせられる。

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