「君の名は。」と時間を超えたコミュニケーション

6 「糸」と「紐」
舞台となった「糸守」という架空の地名に注目したい。糸は紡ぐものである。また、日本語では言葉も紡ぐものである。「糸」は「言葉」を暗示しているのではないだろうか。
先人が紡いだ言葉を守る。守られたこ言葉は今、ここに居る人に伝える。これこそが宮水家の能力の正体なのではないだろうか。
「書を紐解く」という言い回しもある。書を読みコミュニケーションをするという意味である。古文書の中には実際に複数枚を束にして紐で縛っていたり、箱に入れられその蓋が開かないように紐で縛ってあることもある。書を読むときに実際に紐を解くのだ。そして再び縛る時、コミュニケーションが終わる。作中でも三葉が髪を束ね紐で縛った時に涙を流すシーンをもって入れ替わりが一度終了する。「髪」と「紙」を掛けているのではないだろうか。

7 「片割れ時」と呟くということ
なぜ「古典の授業」があるのか。それは古典が伝えられているからである。図書館や、それができる前は主に武家や公家、豊かな商人達のコレクションによって伝えられた。なぜ伝えられたのが。それは書が書かれたからである。様々な時代の様々な思いを紙に書いたからである。
この映画重要なシーンの一つが「片割れ時」に二人が出会うシーンである。その伏線は古典の授業での説明である。それは本の力によって可能になった授業だ。そして「片割れ時」と呟くときに、それは本の力によって千年以上前の人々とつながっているということである。実は三年とかそういうスケールではない事態なのである。紫式部がひょっこりあらわれても不思議でない程時空が突き抜けた環境であったと思われる。
言葉を通じて昔の人と繋がるのです
 

8瀧の本の世界の旅
この作品の世界観について私の考えを述べる。
作品の最後に図書館で調べ事をする瀧が登場する。彼こそが現実の瀧の姿である。そしてこの作品のほとんどの場面は瀧の読書体験を「めっちゃリアル」に描いたものと考えられないだろうか。
文献を読むことや写真を見ることで遠く離れた土地の風景や歴史、文化を知る。この現実的な手段をモデルに描かれたのが三葉の体に入りその土地に行き様々な体験をするという非現実的な出来事であると。そして、彗星が割れた日、テレビでは美しく尾を引くそれが写し出された。映像もまた放送されたり録画、再生されることで「本」同様に時空を越えられる資料である。あのテレビ放送は当日の糸守に関する資料は作られなかった事を表す。これでは宮水気の力は及ばない。そして現実の瀧はあのとき何が糸守で起きていたのかという手がかりを探せど出て来ない。
口噛み酒を飲んだ後の瀧が望んだ入れ替わりでは三葉の体に入った瀧が主体となって物語を動かしていく。逆に以前のものは、無意識に入れ替わり糸守にあった日常に入り込んだり、そこに伝わる言い伝えを聞いたりするものであった。元からあったものが中心である。そして瀧は受け手である。
これも本の世界ではよくある話ではないだろうか。「自分だったらこうしていただろうなと考え自分主体の物語を創っていく。そんなことも本の世界では可能である。

9都会に憧れる三葉の情報の情報環境
三葉の側も見てみよう。糸守の高校生もカフェの存在は知っている。全国津々浦々(といっても我が地元でもある岐阜県には海がなかった。)にまでテレビや雑誌等で情報が伝えられる今日では特に不思議なことではない。しかし、東京の高校生の懐事情までは知らず、瀧からノートやスマホで無駄遣いを指摘される。ここでも「マスメディアが描いてないこと」が描かれている。
更に言えばデートプランはマスメディア等の情報を基に立てることが出来る。しかし、一般人の個々のデートの結果まで晒しものにされる事は殆どない。だから三葉はデートプランを立てれたが入れ替わりが途絶えその結果は知ることができなかったのではないだろうか。

10 石碑は語る
神社というのはどういう処だろうか?神社にお参りするということはどういうことだろうか?近年では何かお願い事をする処にお願い事をしに行く印象が強いように感じる。しかし、それだけではこの作品を理解できないと思う。全ての神社ではないが石碑が遺されている神社が多い。拝殿に昔奉納された馬の絵が遺されている神社もあった。立派なところだと宝物殿もある。これらに依って時空を越えた出会いが出来るのだ。石に刻まれた文を読むこ事で昔の人とコミュニケーションを取ることが出来る。「石」と「紙」の違いだけで図書館と同じなのだ。(図書館については2 時空を越えたコミュニケーションを参照していただきたい。)神社に行く機会があれば是非石碑を探してみて頂きたい。因みに、聖地の一つ、飛騨市の気多若宮神社にも石碑があるので聖地巡礼の際はご覧になってはどうだろうか?
(私が撮った動画です。こちらも参照ください。[君の名は。] 神社はあなたも時空を越えた出会いができる場所なんですよ)
少々話は逸れるが、靖国神社はご英霊のご遺族、特に直接会った事のある方々にとっては特別な場処である。再会を約束した場処でありいつでもその場処に行けば彼等に会えるのだ。死んだ人との約束であるので変えられない。隣国が五月蝿いので別の施設という訳にはいかない。靖国しかないのだ。生身の戦没者を知り直接約束を交わした人の話を聞くと神社とは再会する処だと強く感じる事が出来る。戦後七十年を経て彼らの高齢化が進む。今がその想いに触れ受け継ぐ最後の時間である。
話を「君の名は。」に戻そう。石碑に関してもう一点指摘したい。瀧がラーメン屋のおやじと別れる場面では小さな石碑らしきものが描かれているのはご存じだろうか?あれがあるお陰で「再会する場処」に入って行くのだなと感じられる。

「君の名は。」について図書館学的に語ってみた

新海誠監督作品について考えたことトップ

雑記林トップ
広告

シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。