何故「アンネの日記」なのか

私が「君の名は。」(2016年新海誠)の解釈に何故アンネの日記の話をし出したかという話です。こんな共通点があるのです。

要するに
「君の名は。」は瀧と三年前に生きていた女の子とのコミュニケーション
「アンネの日記」は現代にいきる私たちと73年前に生きていた女の子とのコミュニケーション

という事です。
1生きている時間と場所が違う
アンネは第二次世界大戦、日本人にとっては大東亜戦争、太平洋戦争と言った方が馴染みがあるだろう戦争の最中に生きていました。亡くなったのが1945年3月上旬頃なので死後73年が経過しています。
ドイツに生まれユダヤ人狩りから逃れるためにオランダに亡命してその後ナチス強制収容所で生涯を終えました。日本どころかアジアにも来ていません。日本人との接点は無いに等しいです。
時間も場所も異なったところで生きた人でありました。

2コミュニケーションする
本を読むという事はコミュニケーションをするという事です。この言葉は電話やメール、会話などを指すときによく使うような気がします。特に外国の方とのコミュニケーションという言い方が多いような気がします。
元々の意味は相手の意思や思考を受け取るという事です。なので読書もコミュニケーションなのです。著者の意思や思考を受け取ります。「アンネの日記」を読むとアンネの意思や思考を受け取る事になります。ただ、時間がずれている場合一方通行なのが現実のコミュニケーションです。
「君の名は。」の瀧と三葉もスマートフォンを介してコミュニケーションをしています。小説版ではその言葉がズバリ出てきます。時間がずれているのに双方向なのがファンタジー要素ですね。

3本来の年齢に囚われない
アンネはもしご存命なら今90歳年です。しかし、日記の中では中学生です。隠れ家に入る前の記述なんかは学園ドラマそっくりです。もし、ナチスとか戦争とかいう言葉が無かったら何の変哲もない少女です。もし中学生が読んだら同い年の人という事になります。
瀧と三葉は言うまでもありませんね。同じ高校生と思ってコミュニケーションするのです。
そして彗星とかナチス、戦争という言葉によって時間のズレ、「今現在」の実際の年齢に気が付かされるのです。

4マグカップの猫
瀧君の机の上のマグカップの猫が重要なのです。スマホの日記を執筆するタイミングで現れるのです。逆に朝、支度するシーン等ではマグカップが映っていても猫が見えない位置にあります。入れ替わりが途絶えてからはマグカップが机の上にありません。日記を書くというという事は猫に語り掛ける事のようです。
「アンネの日記」に話を移しましょう。日記なのですが手紙みたいなのです。「キティー」という架空の友達がおり彼女に話を聞いて貰うとう設定で書かれています。

キティーは英語では子猫という意味です。これとマグカップの猫とを掛けているように見えます。

5何故それを知ってる
三葉が何で毎朝揉んでいた事を知っていたか。それは四葉が見ていたからですね。そして報告していた。その四葉のヘアゴムにも猫が付いてますね。

四葉もまた「日記」(キティー)なのです。
アンネの日記には同居人の生活についてもしっかり描かれています。中には「同居の男の子がエロ本を隠れて読んで怒られていた」なんて事も書いてあります。読んでいた本人からすれば私たちが何故知ってるのかと言いたいでしょう。
日記がチクってるのです。日記が残っていて出版され私たちに報告しているのです。

「君の名は。」の中で四葉がやっていた事そっくりの役割ですね。

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新海誠監督作品について考えたこと

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