図書館におけるコミュニケーション

司書の資格課程の内容から「君の名は。」の解釈に役立つ事を簡単に抜粋して書いてみました。私がこの作品を始めとする新海作品にはまった原点みたいなものです。

 

1 「時空を越える」ということ。
現代の公立図書館の主役と言えばNDC(日本十進分類法)で言うと913.6、現代小説である。半分以上の割合を占めている館もあるのではないだろうか?現代の、そしてその多くがまだ生きている人々が書いたそれらはあまり「時空」を感じることがはないだろう。そのためか見落としがちである。
そこで書庫に注目していただきたい。といっても普段は一般の人は入ることは許されない。だが、「図書館ツアー」なるものを実施している館も多いので参加していただけると良い。そこでは正に時空を越えてきたという体験ができるのだ。江戸時代以前に書かれた書物。和紙に墨で手書き、紐で綴じられている。そんな書物の数々に囲まれていると時空を感じることができる。(念のため。著者は資格を取ったものの司書になりそこねた一般人である。)
現代文学も時空を超えていないことはない。しかし、たかが数年の場合環境に大きな変化がないためそれに気づきにくい。何かニュースになった出来事が読んでいる小説の中で起こったと時、数年前のあの時のことだと気付かされた経験はないだろうか?この物語ではその出来事が彗星の接近や災害であった。

2 時空を隔てたコミュニケーション
文章を読むことは相手の思ったこと考えたことを受けとるということである。所謂コミュニケーションである。普段私達が口で話したり、電子メールやSNSで行っているあれと同じ類いのものである。図書館等の古文書の場合、百年、千年以上も前の人々とコミュニケーションしていることになる。それは現実の世界では一方的なものである。時間の流れの下流へ発信できても逆はできない。

 

3 なぜこの本がここに~場所を隔てる
源氏物語絵巻は平安京、今で言う京都の様子を描いた物なのに名古屋にもある。それは尾張徳川家のコレクションとして残されていたからである。尾張の国にいながら京の人々とコミュニケーションしていたのである。
現代では、関東で印刷された書籍が全国各地に届けられる。これもまた場所を隔てたコミュニケーションである。

4 禁止事項の伝えかた
時代的に双方向のコミュニケーションでありファンタジーの力を使っているのは確かだが二人は紙等の媒体を通じて喧嘩や自己紹介をしている。媒体が二人のコミュニケーションを可能にした。時間や場所を隔てているため直接会うことはできないが書き残しておくことで伝えることができた。

5 精神年齢は動かない
小学校の卒業文集を開いてみて欲しい。その文集にいるあなたの精神年齢は今ランドセルを背負っている彼らと同等なのだ。生まれた年は全然ちがうのに。
生まれた年は違うのに同い年でいられる。あの二人のように。
次からはいよいよ本題。「君の名は。」は実はこういう作品なのではないだろうか?

「君の名は。」について図書館学的に語ってみた
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