平成末期の日本人の視点で「スパークル」を解釈

現代の日本に生きていたり「アンネの日記」を読む立場の人から見た解釈です。「スパークル」(野田洋次郎2016年)をご存じだという前提で書いてます。

・大人や学校に飼いならされている子ども、生徒。その閉塞感の中をうつくしくもがくのです。

・暦を与えるという事は支配するという事。これが東アジア社会のしきたりです。現在でも中華人民共和国では標準時が一つしかありません。西の方では使い勝手が悪い時計ですがこれが文化。学校の時計やそれに連動して鳴るチャイムも同じようなもので生徒の生活を縛っています。それに関係なく使えるのが砂時計です。時計ですが縛られてません。支配されてない所でキスをすると言う意味ではないでしょうか?

忘れることが「さようなら」ではないでしょうか?お互いの事を忘れてしまったら会えません。

脳に残っている記憶に限らず外部の記憶装置ともいえる図書、ノートも同じです。その資料が失われるという事は著者とのコミュニケーションが不可能になるという事です。

 

「ついに時は来た」「経験と知識と」の連で決意を固めます。

「はにかんではすまして見せた」のは誰か。誰にでも子どもから大人に成長するきっかけとなった出会いがあるかとおもいます。その人ではないでしょうか?それは本、著者であっても良いのです。もしかしてアンネの笑顔の写真を思い浮かべて作詞されたのではとも思ってしまうのです。

 

・まどろみの中で見たものは学校に縛られない自由な世界です。電車に揺られて運ばれるという事は旅立ちや解放です。

・サビは運命や大人たちがひいたレールの先にある未来から逃れる事です。束縛する筈の時間も自分達を横目で見て黙認してくれる、そんな場所での恋。

 ・退屈の日常の対義語として「嘘みたいな日々も~」ではないでしょうか?立っていたのは冒険、未知の世界です。

 ・「君の匂いがした」の「君」とは大人たちや時代の影響や読んだ本の影響ではないでしょうか。

・「この目に焼き付けておく」のは現代であり未来の人から見たら過去。「アンネの日記」が伝えた事実はアンネにとっての現在。それと同じように自分が生きている時代を記録する事。それから「読んだ本」、つまり過去出来事というのはそのままでは忘れられてしまいます。書き残されていても誰かが読まないと意味がありません。また保存状態が悪ければ腐敗したり焼失したりしてしまいます。記憶を伝えるには不断の努力が必要です。

過去からのメッセージを受け取り逆に自分たちの時代の記録を残すこと全般です。

 

 

 

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