私達と歴史

私達と歴史
最後に歴史の中の個人について考えてみたいシュンやアスナの父は歴史の中でどのような存在なのだろうか。アスナの父は地上人と結ばれ子をもうけた。断絶された地上と地下の間でそのようなことはとても勇気が必要だった筈だ。こうして地上と地下の間の架け橋、と言っても小さな吊り橋みたいなものになったかと思いきや死を迎えてしまう。次にその後を追ってきたシュンはその娘であるアスナに祝福を与える。そして病の進行を早め死に至る。その後アスナの冒険と帰還の物語が始まる。描かれていないが、その後のアスナの活躍が楽しみである。 こうして地上と地下とを行き来する人が現れるようになったのであるが、そこに至るまでの命の重みも感じられる。描かれているだけで二人の人物がアスナ達の前に歴史をほんの少し動かしている。歴史を動かした二人を突き動かしたものは何であろうか?それは歴史の流れという壮大なものではない。星が見たい、地上へのあこがれや好奇心であった。ごくごく個人的な事由であった。そしてアスナやモリサキもまた個人的な事由で地下へと旅立つ。
こうして個人的な事由が結果として歴史を動かしているのだ。そう考えると歴史の教科書に名前が載っている鑑真やマルコポーロ、ザビエル、吉田松陰等はどこまで「歴史」を意識していたのだろうか。まさか未来の有名人になっているとは思っていなかったかもしれない。そして私たちの何気ない日常や創作は歴史の中でどのような意味を持っているのだろうか。

この稿を書いている時平昌オリンピックのカーリングが話題になっている。韓国の金恩貞選手は「眼鏡先輩」と渾名され、国境を越えた日本でも話題である。果たしてこの「話題になること」は 日韓の交流や平和の祭典としてのオリンピックの歴史の中でどのような意味を持つのだろうか 只々お気に入りの選手を追っているだけかもしれないが後世に語り継がれる歴史的な一歩なのかもしれない。

「星を追う子ども」は深すぎる作品

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