人類は少しも賢くなってない。~舞台「雲の向こう、約束の場所」について思うこと

初出2018年4月18日ブログ「雑木林」

舞台「雲の向こう、約束の場所」の初日まで一週間を切った。Twitterでは新海誠ファンの方々がその話題で盛り上がっている。その最中で世界は作品の世界と同じような雰囲気に包まれているように思う。といっても聖地巡礼みたいにワクワクするものではない。残念で悲しい出来事が進行している。シリアへの空爆という世界を大きく動かす事件が起こった。 原作が公開された00年代初頭はテロ事件を皮切りにアメリカと中東との関係が悪化し戦闘が続いていた時期であった。私は当時「雲の向こう、約束の場所」を存じ上げなかったが本作が公開された当時のことを思い出す。化学兵器の保有の疑いを理由に空爆するというのが00年代初頭のイラク侵攻を連想させる。結局何も出てこなかったため無駄死にだった。核兵器などの大量破壊兵器の廃絶は本当に平和への道なのか、余計戦争を誘発していないか。信じていたものに裏切られた思いであったのを覚えている。 架空の日本を舞台に進行する戦争が少年少女の知らないところで進行していた。そして開戦を迎える。私たちにとっての00年代初頭の戦争も知らない間に事が進んでいた。身近でないのか遠い土地なのか、または身近と考えるべきなのか、そういうところで確かに世界が動いていた。そんなことを思い出す。 そして現在アメリカ等はシリアに空爆している。きっかけは科学兵器。人類はあの頃から少しもかしこくないのではと思ってしまう。そんな最中での「雲約」の舞台化である。なんかすごい偶然だなと感じる。舞台に立つ俳優はひょっとしたらテロ事件の後に生まれたかもしれない。ヒロキたちや若い工員、それから岡部さんの世代との(架空の)戦争や分断を巡る想いの違いが描かれている。世代毎に思うことは違う。今の10代にはこの度のシリア空爆はどのように映っているだろうか? 14年以上前から人類は少しも賢くなってないような気がする。今回の空爆も果たして本当に正当性があるものだろうか?どうか早く収束しないものか。

「雲の向こう、約束の場所」舞台化と国際情勢と

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