新海作品とアンネの日記の共通点が結構見つかるという件

初出2018年2月28日ブログ雑記林

各地で絶賛巡回中の新海誠展では監督が影響を受けた作品についての展示があります。そこでは語られていませんが「アンネの日記」(アンネフランク)の影響が大きいと感じる点が幾つかあります。特に「星を追う子ども」と「君の名は。」です。

差別や迫害がテーマ

アンネの日記は言うまでもありませんね。ナチスドイツにユダヤ人であることを理由に収容され殺された少女の日記であるこの作品。大半が身を潜めていた隠れ家で書いていますが悲しい現実や平和への願いが多く書き記されています。

「星を追う子ども」は夷族やアモロートの兵士がやっていることはヒトラーそっくりです。アスナを血筋で差別しています。

死者の思いは・・・

「星を追う子ども」のケツァルトルの唄は「全ての記憶」であり「世界のどこかに、永久に記憶されるそう」です。あの傷だらけのケツァルトルが残した思いも永久に伝わることでしょう。

アンネに関しては彼女達を匿って呉れていた協力者の著書である「思い出のアンネ・フランク」(ミーフ・ヒース著 深町眞理子訳)から引用しますと「多くのものが失われたが、アンネの声はけっして失われまい。私の若き友は、この世にすばらしい遺産を遺してくれたのだ。」(P347L11ー13)

どちらも「失われたものや人の思いがいつまでも残る」ということです。

時間のずれたコミュニケーション

今「アンネの日記」を読むと言うことはどういうことでしょうか?色々と考え方はあります。ここでは今でも13才から15才の少女の声であるという点を取り上げます。アンネは西暦1929年の生まれです。生きていれば89才、ひ孫がいてもおかしくない年です。ですが「日記」を読むと13~15歳、中学生くらいの少女にしか見えません。

「君の名は。」でも二人は最初お互いのことを高校生と認識していました。高校生にしか見えなかったのです。ですが実際は言うまでもありませんね。

アンネの日記をもし中学生の頃に読んでいたら、あるいは今中学生が読んでいたらと想像すると分かりやすいかもしてません。「同い年の言葉」を受けとるのですが時間にズレがあるということになりますね。あの二人と同じような体験をするわけです。

スマホの日記

「君の名は。」では何故日記なのか、メモ帳ではダメなのか?と思いませんか?確かに良さそうです。なのに何故日記なのでしょうか?

「アンネの日記」と瀧と三葉の日記はよくにています。誰かへの手紙なのです。アンネの日記は日記帳に「キティー」と名付けそれを何でも打ち明けられる友達と思い「手紙」を書いています。「君の名は。」でもお互いは話を聞いてもらえる相手でありました。その相手に送る手紙のようなものです。

またアンネが日記を書く頻度は不定期です。毎日ではありません。入れ替わりと同じです。

スパークルのサビとアンネとペーター

アンネとペーターは隠れ家で匿われているわけですから外に出るわけにはいきません。彼らが見る外の景色とは窓からみえる街の風景でした。そこからは教会の時計台も見えました。そんな場所である日キスをするのです。追っ手から逃れて時計の見守る場所で恋をする。ぴったりですね。

ちなみにこのペーター君ですがはじめの方では女の人に関する本を隠れて読んでいたりと一介の「バカな男子」なのでした。これは瀧くんに似てます。

最後に個人的な感想

アンネには生きてて欲しかった。面白い人だ。同級生なら絶対楽しい。アンネの日記を読んだときこうおもいました。これは小説版「君の名は。」で明かされている瀧の思いにそっくりすぎだと自分で感じました。

 

元ネタと思われる作品

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