「秒速5センチメートル」のセルフオマージュは「言の葉の庭」ではないか?

初出2018年1月30日ブログ雑記林

前回、前々回で「秒速5センチメートル」(新海誠 2007年)(以下「秒速」)と「言の葉の庭」(新海誠2013年)(以下「言の葉」)各々の作品について分析してみたところでこの二作の共通点を指摘したい。

・ロンド形式でかかれている。

「秒速」では第一話で電車の中の貴樹のシーンを主題とし明里との思いでのシーンが場面毎に現れる。電車が遅れると思っていなかった埼京線区間では小学生時代のいつまでも続くと思って疑われなかった日常の回想がエピソードとして挟まれる。そして電車の遅延が二人に襲いかかるのをヒリヒリと実感するところで明里の引っ越しで離ればなれになってしまう時の事を回想するエピソードが挿入される。順調な旅といつまでも続く日常、二人を引き裂く列車の遅延と引っ越しがリンクしている。

本来音楽のロンド形式は主題に変化はないがそれを半ば強引に映画に当てはめてみているので完全に当てはまると言うわけではない。だがよく似た形式で描かれている。

そして第三話の「秒速5センチメートル」では前々回の記事の通りである。夜の町をさまよう二人を主題とし思い出のエピソードが挿入される。

「言の葉」では東屋のシーンが何度も繰り返し登場しその間に各々の日常が挿入される。

・はじめのシーンが再現

「秒速」では桜舞い散る小田急沿線で追いかけっこする小学生の二人のシーンで始まる。この場所は大人になった二人も訪れる。桜舞い散る小田急沿線が再現する。

「言の葉」では電車の車輪が映し出されたあとにビルの谷間を通り新宿駅にたどり着き、孝雄が空を見上げるシーンが最初に登場する。そして殴り込みの後再現する。

さて、この「再現」は何を表すのだろうか?様々な考え方があるがひとつはやり直す機会である。「秒速」では文通が絶えてしまった二人がまた再会する機会である。「言の葉」では夏休み中会わなかった二人が再会に向かうシーンである。もうひとつの考え方はすれ違いの予兆である。再現部では両方とも列車がすれ違う。「秒速」では二本目の列車がやって来てすれ違うし「言の葉」は車輪の部分を写したカットですれ違う。もっともこのカット、初めに提示されるときはすれ違うもっと以前から始まるのに再現ではいきなりすれ違う。何度も繰り返したらお客さんが疲れてしまう配慮から短くしたのだろうか。それでもすれ違う瞬間は残しておいている。そしてこの再現の後、「秒速」ではすれ違い会うことが叶わず「言の葉」では喧嘩をしてしまう。男女もすれ違う。
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・天候に変化をつける

「秒速」では新宿の高層ビル群が雪が降る夜と桜が舞う白昼の違いをつけて二度登場する。冬の夜からは憂鬱な、未練たらたらな心境が伺える。春の昼間からは心機一転、やり直そうと決意した心境が伺える。

「言の葉」では梅雨明けの灼熱地獄の中をランニングしている人たちがいたところに雨が降り注ぐ。同じ場所であるが天候の違いで会えない日々と再会の喜びを表している。

両者とも同じ場所のカットで天候を変えて心境の変化を表現している場面がある。

・性的表現の後に引き裂かれる

「秒速」はキスの後に貴樹が引っ越し離ればなれになってしまう。貴樹はなにかに向かってもがくことになり結局文通も絶えてしまう。

「言の葉」は足の型をとった後に梅雨が明け暫く会えなくなってしまう。孝雄はバイトや靴作りに打ち込み遠くへ行こうと努力する。

なにかしらの性的な描写の後離ればなれになってしまうのは両者に言える共通点である。そして男の方が遠くを見始めるのもこのときからである。違いと言えば「秒速」は文通が絶えてしまった原因はどちらともつかないが「言の葉」は雪野は待ち続けるというところだろうか?まあ学校がある雨の日の午前中と言う決まりだったので仕方ないが。それに孝雄も苦しかったようだ。
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・明里の手紙と雪野の台詞

この二つがよく似ている。

「秒速」の「貴樹くんがいなければ、私にとって学校はもっとずっとつらい場所になっていたと思います。」(「小説 秒速5センチメートル」新海誠 以下※1 177項5行から6行)と「言の葉」の「わたしあなたに、救われてたの!」(「小説 言の葉の庭」新海誠 以下※2 324項2行)これらで相手がどれ程重要な存在だったかが述べられている。

「秒速」の「ひとりでもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません」(※1177項16行)と「言の葉」の「ひとりで歩けるようになる練習をしてたの。」(※2 312項16行)「靴が、なくても」(※2 313項3行)ここでは一人でも、離ればなれになっても良いようにしないといけないと言う決意が述べられている。

この二点が共通して書かれている。

しかし、「秒速」では決意の通り離ればなれになってしまうが「言の葉」では結局は関係が続く。上記の事がかかれる順序、文の組み立てかたも逆で「秒速」では重要な存在だったことをまず伝えそれから振りきるように離ればなれになる決意を書いている。「言の葉」では先に決意したものの重要な存在だったと伝え抱き合う。

それから作中の「大丈夫」という言葉の使い方も対照的である。「秒速」では別れ際に確信をもってその言葉をはなむけに贈る。自信に満ちている。逆に「言の葉」では東屋で弱々しく「大丈夫かな」と呟く。そして最後も大丈夫でなく離れられない。不安を抱えている。
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・大江千里の影響

Twitterの非公開アカウントさまからの情報でわかったのだが「秒速」は大江千里の「返信」に似ている。また「言の葉」は大江千里の曲をカバーした上で主題歌に起用している。二作とも彼の影響があったようだ。

何度も繰り返し同じ、あるいは似たものを繰り返すのは音楽的な手法である。この二作は音楽家の背中を見て製作した作品なのではないだろうか。

音楽的手法で書かれたアニメ作品~時間芸術としての「秒速5センチメートル」と「言の葉の庭」

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