見る度に熟されていく作品 「君の名は。」

本日川崎のチネチッタでの千秋楽である。公開初日から上映している館での上映は終了となる。だがもう名画座の仲間入りしているようでまだまだ劇場で鑑賞できる。私は昨日鑑賞した。自身三度目の鑑賞である。東京に用事があったため機械に恵まれた。音響が素晴らしいスクリーンで「映画泥棒」から素晴らしかった。あれは劇場そのものの比較に丁度良いかもしれない。本編も爆音の地響が本当に地面が揺れているような錯覚に陥ったり電話が鳴り響く役所では本当に音声が飛び交っているようで臨場感があった。

 三度鑑賞して感じた事は作品が自分のなかで熟されていく事だ。そしてそれがこの作品の面白さかもしれない。始めてみたときはとにかく作品に振り回されることが痛快であった。入れ替わりのドタバタのコミカルな描写や飛騨に行った時の先が見えない辛さ。そして爆破のシーンでの痛快さその後の無念さ、そして直談判まで本当に息苦しく感じた。またカタワレ時のシーンは本当に永く感じられた。永遠に続くかもしれない美しい季節であった。ラストでは散々焦らされてほっとした。
広告
 
それから小説を読んだり二回目を鑑賞したり、また時々思い出して分析したりを繰り返した。結果は勿論ストーリーは大体頭に入っているし作中の細かな表現が意味することも解ってきた。その上で今回鑑賞した。
入れ替わりのシーンはまた何かやってるなと可愛らしく思えたし飛騨旅行はまあ落ちるべき所はあるからと安心していた。避難計画の半ばで捕まったことは何度見ても悔しいが何故かこういうものだよなと受け入れている自分がいた。カタワレシーンも仕組まれた儀式のように先が見える分短く感じられた。そしてラストでは確かに寂しい風が吹いた。
それは青春真っ只中の、まさに当事者から全てが思い出に変わった後に年少者を見てほのぼのとしみじみと過去を振り返りもう若くないと感じるのと似ている。何度も再演せれるうちに思い出に変わっていくそんな作品であった。
 
 
 
広告
シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。