雑踏の中の三葉さん

これは流石に深読みしすぎかな?「君の名は。」(新海誠 2016年)は本当に完全なハッピーエンドなのかなと言う話。
ヒロインの名前の由来の件ですが特典ブックレットの質問コーナーにある通りなのかな?もっと深い理由があるように思える。
雑踏の中の一介の女。だから三葉であると言うのが私の説。クローバーをみていると皆三葉。普通の三葉。
「三葉」と出会うと言うことは自分が雑踏の中の大人達の一人であると悟ったと言うことのように思える。もう少しだけ夢を見ていたい、なにかを探していたかったが出会ってしまったので風が寂しさを運んできた。こう考えていた。
何かが喪われた喪失感。これこそが新海作品で一貫として描かれている。本作も例外ではないのでは?

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「君の名は。」の主題は「埋没」説 新解釈です。映画「君の名は。」のテーマは埋没ではないかな? ラストを見てそう思いました。難を逃れた糸守町の町民が東京に埋没しているように見えます。瀧から見たら夢の中の住人ですね。それが何のへんてつもない東京人になったのですね。約一名夢をみとるような人がいますが。そう、四葉さんです。教室の窓際でぼんやり空を見つめているのは新海作品でよくみる絵ですね。

スーツ姿の瀧くんはリア充達に弾かれていますね。そう、面接官のお偉い方様は皆結婚指輪をしていますね。つまり全員リア充ですね。逆に司くんは晴れて彼らの仲間入りを果たしたようですね。おめでとうございます。結婚して出世してというのが普通ではなく大変なことであったということですね。よく分かります。 そうして東京で会社員生活を送っている瀧くんの目の前に現れたのはちょっといい方は悪いかもしれませんが雑草みたいな名前の女。クローバーって葉っぱが三枚だったら特に変わった所がないですのね。彼女に出会った事で自分がごくごく平凡な人間であると悟ったのではないでしょうか?そしてその前兆に出てくるのが東京に埋没している元糸守町民カップル。 こう考えると昔からの新海作品みたいだなと思いました。自分がなんでもできる、特別な存在と思っていたあの時との決別ですね。そして人間の歴史にの中に埋没していくのでしょう。これが喜劇として受け入れられるのは出世が現代の若者にとってステータスでないということの現れではないでしょうか?

「君の名は。」についていろいろ語ってみた

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