「星を追う子ども」の裏テーマ

初出2018年2月25日ブログ雑記林

映画「星を追う子ども」(新海誠)は生死観をテーマにした作品として評判がある。主人公アスナは初恋の相手を、教師のモリサキは妻を各々亡くした。甦らせたい人がいた。そこで、死者を復活させられると言われている地下世界アガルタへと赴き果たしてそれは正しい事なのだろうかと問い続ける旅をする。そこで様々な「生」と「死」に直面する。
確かにこれは大きな主題ではあるが他にも読み取ることができる大きな問題もある。それは人類がその歴史の中で負ってきた傷である。争いや差別、迫害である。
夷族がやっていることはアスナやマナに対する差別と迫害である。彼女等が混血であることを理由にした差別であり監禁し殺そうとした迫害行為である。またアモロートの村の人々は一行を地上人であることを理由に不吉な存在であるとしている。そしてついには殺害を目論む。
彼らがその行為に及ぶのには理由がある。嘗て地上人はアガルタに押し入り、富や叡知を奪った。この禍根がいまだに残っているのである。
アスナは地上では何事も無いように暮らすことができた。しかし、過去の禍根の残る地下世界で自らの血筋やそれにまつわる歴史を知ることとなる。これまで無関係だった歴史の中での自分の立ち位置を知る旅でもあった。
「切断せれた右腕」


ミミを取り込んだりアスナとシンを崖の下まで連れていった人形のケツァルトルは右腕がない。これは人類が負った傷を表しているのではないだろうか。戦争による戦闘行為や残された地雷によってそのような傷を負った人は少なくない。
あのケツァルトルは様々な人や動物を取り込み悲しみや喜び等様々な感情を蓄積させてきた。前の時代の争いの傷も多いであろう。それ等を体現したのがあの姿ではないだろうか。
初めに「切断された右腕」を提示するのは夢に出てくるシュンである。秘密基地がある高台でアガルタを見つめる夢である。シュンはアスナを「さようならを知る旅」へといざなう。その直後アスナは夷族に拉致されてしまう。差別や迫害の始まりである。「さようなら」とは人類の歴史の一部となること、純真無垢でいられた子どもの立場からの別れであったかもしれない。
その次にそれが再現するのはミミの遺体をケツァルトルが取り込む時である。このシーンについては差別や迫害の真っ最中であり節目では無さそうだ。次のシーンへの前置きであろう。
そして、夷族が朝日に焼かれた後、若い二人は涙を流しシュンの死を受け入れる。その後ケツァルトルに胎内に取り入れられ崖に下へと連れて行って貰う。
そのシーンは「人類が負った傷」が「次の世代」を産み落とすシーンでもある。

アスナ達は人類が残した負の遺産を知る旅に一区切りつけそこから新しい時代を創って行くのだ。

これにはシュンやアスナの父(シュンの先生)の思いも乗せているだろう。断絶された地下世界から地上と関わりを持とうとした二人。彼らの行動もまた歴史の一部である。だから産み落とされる前にシュンの死を受け入れる必要があった。
「 戦争に近い時代設定」
この物語は西暦1970年代という設定である この意味について考える 一つは 日本のアニメ史に残るテレビアニメシリーズ「世界名作劇場」の全盛期である。後にスタジオジブリ作品の重要人物となった人物も多数製作に参加している。日本の伝統的なアニメーションを考える時に外すことのできないであろう。また時代を遡れば戦争に近くなる。70年代は「小学生のお父さんやお母さんが子供の頃は戦争をしていた」時代である。戦争の経験者がまだまだたくさんいた。戦争が身近であった。その頃「8時だよ全員集合」という子ども向けの番組が視聴率が約50%であった。その内容も戦争にちなんだものもある。オープニング二ングには軍歌や戦時歌謡の替え歌 であったり、コントの内容が 「人数確認」と戦争ごっこ思わせるものだったり、復員兵がコントに登場したりしていた。そもそも番組名の「全員集合」から言って軍隊の集団行動だ。またドリフスターズは軍歌戦時歌謡をカバーしている。戦争の記憶が色濃く残っている が戦中戦後の本当に大変だった時期は過ぎお笑いコントに登場させても許されるようになってきた時代であったのだろうまた「戦争を知らない子供ち」(北山修作詞、杉田次郎作曲)は70年の発表である。若者はすでに戦後生まれで明るい未来を見つめていた時代でもあった。これらの大衆文化から70年代は旅の途中過去の戦争の記憶に触れられる時代でありラストでは明るい未来を期待させる終わり方でも問題のない丁度良い時代であったのではないだろうか。
「一夜限りの地球家族」  

アスナ一行はアモロートの村の老人に一夜世話になる。このシーンはいわば地球家族を構成するシーンである。戦争を軸において関係を整理する老人とモリサキは地下世界とアルカンジェリという敵対する関係であった。そんな二人が食卓を共にする一見奇妙なことである。そして「生死」をめぐる利害関係や価値観の違いから言い争いになってしまう。一方戦争を直接知らないアスナとマナは終始良好な関係を築き上げる。アスナは地下世界の文化つまり異文化に興味津々である。世代の違いや大人の事情が描かれているのだ。ではシンはどう言う立ち位置であろうか。彼は地下世界の人間として動こうとする。生まれた村に恩があり、その一員として役目を果たそうとする。大人としての立場である。その一方で何だかんだで地上人を助けてしまう。まだ子供の無垢な一面も残っている 。大人と子供の中間で葛藤する青年像が浮かび上がる。

「星を追う子ども」は深すぎる作品

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