「すずめの戸締り」を深読みしてみた。※ネタバレ注意

表題にこの文章のキーワードは載せません。乗せた方が注目されるのは分かっていますがネタバレになります。皆様もSNS等で話題にされるときに注意して下さい。
この文はかなり核心というか本質に迫ってみたつもりです。まだ見ていない人、知りたくない人はスクロールしない方が良いです。

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キーワードを出す前にそこに辿り着くために前作までの特徴をさらっておきます。。。
そもそも新海誠は現代を描くアニメーション監督なのか?
一見したら確かにその通りですよね。しかし本当にそれだけなのでしょうか?実は日本が戦争をしていた頃の事をもほのめかしているのです。
須賀神社。あの瀧と三葉が出会った階段のある神社です。聖地巡礼では階段ばかりが有名になっていますが本殿もご覧になった方はどれくらいいるのでしょうか?あの神社には「三十六歌仙絵」と言う絵が遺されています。先の大戦で当時の本殿は焼失してしまいました。しかしこの絵はたまたま疎開させていたため無事でした。だから戦後を生きる私達も出会うことが出来るのです。それをなぞっているのが世界改変後の糸守町の住民です。偶然避難していたから生き延びれて出会うことが出来たのです。なんかよく似てません? 「秒速5センチメートル」で二人が遊んでいた神社は灯籠に注目して欲しいです。あれはこの一帯に軍の施設を造る事になって立ち退かなければならなかった住民が別れを惜しんで記念に遺したものです。権力者の所為で意志に関係ない引っ越しをさせられたのです。ヒロインのあかりも親権を持った親の都合で引っ越しさせらられてしまいます。もしかして名前の由来って・・・

  •  こうして見ると現代だけが描かれている訳ではないのです。そして現代を生きる若者がよく似た体験をすることで戦争をやってた頃の街の様子も見え隠れしているのです。
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    「すずめの戸締り」を読み解くときの一つのキーワードは「特攻隊」なのではないかと思います。

東京を上記のような描き方をしているアニメーション監督が今度は九州から出発する物語を描くというとのことです。予告を耳にした時私は「九州って特攻隊の基地が沢山あった場所だよな。」と考えました。そうしてみると謎めいた旅の青年は特攻隊員の亡霊にも見えたのです。自転車で海に向かって坂を下るのは滑走路に見立てて飛び立とうとしているのではないでしょうか?後述の寺山修司も全力でダッシュして「人力飛行機」になって飛び立とうとする映画を撮っていますからこの影響もあるでしょう。
そして旅の青年の名前が「宗像草太」と発表されてからググってみたのです。「宗像 特攻」と。そうしたら一作の映画が検索に引っかかりました。「最後の特攻隊」(佐藤淳彌 東映 1970)です。主演の鶴田浩二が演じるのが「宗像大尉」なのです。気になって事前に鑑賞しました。
(こちらのサイトで配信で手軽に見ることができます。)

特攻隊の映画を頭の片隅に置いたまま11月11日の零時からの回を鑑賞したのですが命に対する駆け引きが同じように凄まじいなと感じました。

・「すずめ・・・」で戦うミミズは抑えられても完全に封じる事は出来ない。特攻作戦も勝ち目はないけど少しでも抵抗する作戦。そして終戦に持っていく作戦であった。
・宗像草太が海岸で死と向き合う様は出撃を目前にした特攻隊員の心境のようです。
・要石になる事は身を犠牲にして人を守る事であり特攻機として出撃するのと同じようなもの。
・鈴芽が凍り付いた草太(椅子)を差すのは戦友を先に特攻機として出撃させてしまうのと同じような事。
・誰かが喰いとめなければ人が死ぬのはミミズの落下も空襲も同じこと。東京の巨大ミミズは東京大空襲を思い起こさせる。
・過去に壮絶な命の危機に曝されたのは鈴芽と飛行機乗り、特にラバウルとかの激戦を経験した人では同じ。ここから死に対する考え方が出来上がってくる。

細かい生死感とかは別々のオリジナル作品であり、時代も違うので異なっていますが命のやり取りの激しさが伝わってくるのは同じです。鈴芽の旅は現代と近代の命が消えた、消えかかった場所を結ぶ旅とも言えるでしょう。
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寺山修司を思わせるポイント

再び前置きですが、新海作品は寺山修司を想わせる表現が散見されます。

・家出少年が線路を走るのは「書を捨てよう町へ出よう」で家出願望がある少年が都電の線路を走るシーンを思い起こさせます。「人力人力、人力飛行機!俺はアイツで飛んでやるんだ!」と叫んでいます。「天気の子」の帆高もあのまま飛べたら真っ直ぐに陽菜さんの元に行けたような位置関係。飛びたかっただろうな。
・「雲の向こう、約束の場所」のラストで悠然と飛ぶ白い飛行機は五月の鷹を思い起こさせます。

「すずめの戸締り」では「時計」の出現箇所が寺山修司っぽいなと思いました。時計とは自分を律するものであります。映画「田園に死す」では「幼少期の私」の家には柱時計が鎮座しています。それに対して村にやって来たサーカス団の団員は其々自分の時計を持っています。家に縛られていた幼少期に自由な生き方に出会う訳です。「すずめ・・・」では猫と椅子を追いかけて家を飛び出そうとする時叔母に止められます。その時後ろには時計がもの言いたげに鎮座しています。また神戸で戸締りを終えて帰った時に心配かけた事を叱られます。この時も背後には時計があります。鈴芽が重たいと感じている大人のこういですね。

それから一度死んだ草太(椅子)が乗っかている山なのですが恐山に似ていませんか?青森県の下北半島にある山で死者の魂が集まる所とされています。「田園に死す」の舞台です。幼少期の私がイタコに父親の魂を口寄せしてもらう所です。

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