なんにもないよの裏側

周りは田んぼばかりで高い建物は見えやしない、そんな一筋の道を歩いていた。ゆっくりと形を変える雲とそれを照らす太陽が美しい夕暮れ時であった。一日中晴れていて暑くもう暫くこれが続くと考えると少々うんざりしていた。ところが空港の方の空を見ていると暗胆とした雲が覆っていた。まさかね。一応スマホの天気予報を確かめてみる。すると激しい雨が降る模様。只、あと三十分程は時間があるようだ。なんとか目的地である日和山迄は辿り着けそうである。さあ急ごう。雷も鳴っている。遠くに稲妻も見えた。
流石に分刻みの予報に過度の期待が寄せてはならないようだ。パラパラと水滴を感じた。やがてアスファルトに斑点が現れた。だが屋根の付いたバス停すら無くとりあえず急いだ。そうするしかなかった。
そんな時一台の車がクラクションを鳴らしながら私の横に付いた。なんと乗せて呉れるとのこと。見ず知らずの私をである。申し訳ないと思いつつも好意に甘えることにした。「どこに行くの」と聞かれ日和山の方に向かっていたと答えた。初めての土地で他にどう答えれば良いか判らずとりあえずそう答えるしかなかった。

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「なんにもないよ」
と言いながら車を走らせて呉れた。広大な土地をひたすら走り遂に日和山に着いたがそれ以外は寂寥としていた。
「何もないでしょう。」
只立ち尽くすしか無かった。

礼を言いおじさんを見送った後、風邪をひかない程度にささっと見て回った。境内には小さな本殿があり、一本の松の木と一基の石碑が遺されていた。よく持ちこたえたと思う。それから震災の犠牲者の位牌がポツリと立っていた。


山の下で雨宿りをしている間は本当にすることが無かった。屋根付きの憩いの場がありホッとする反面寂しい土地に来て了った事を改めて思い知らされた。只、電線が張られていることが人々の生活の証のように思えた。

やがて雨も小康状態になり改めて見て回った。石碑は戦没者の御名前をしるしたもののようだ。津波に耐え彼等の生きた証を今を生きる私にも伝えている。時を越えるメディアとして優れていると感じた。


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周りは震災直後の報道で見たような光景であった。電線が張られバス停名にも「閖上小中学校」とある。これらから人々の息吹を感じられるが未だ未だほんの一歩のようだ。震災前の写真の賑わいを見たら中に浮いたような気分になった。大自然を目の前に私達の足許は脆いものである。

やがて一台のバスがやって来た。最早行かなくてはならない。

乗り込むと運転手さんから「調整のために発車が遅れるけどいい?」と尋ねてきた。今日は日曜日であ道路が空いており、平日と同じこの時刻では早く着いて了うとのこと。駅に着く時刻は変わらないようにするそうなので問題はない。列車に間に合えばよかった。

平日はダンプカーがひっきりなしに往来し渋滞しているそうだ。それに対し日曜日は静かだ。そして爪痕が生々しい。

「ここら辺は商店街だった。」

バスを進めながら教えて呉れた。賑わいが昨日の事のようにも聞こえた。そして本当にあっという間だったのだ。
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周りに空き地が広がり電柱だけがやたらと高く聳えている。ポツポツ建つ一軒家とよくよく比べてみると普通の高さなのに不思議なものだ。やがて復興住宅も見えてきた。広々とした街を詰め込んでいるようにも見える団地、集合住宅だ。そこでの人間関係とかは上手くやれているだろうか?阪神淡路大震災の復興で問題になったようなので少し気掛かりだ。

こうして、閖上地区をあとにして市街地へと入っていった。

さて、今でも時折気に掛かることがある。それは「なんにもあいよ」の裏側である。個人的なことは詮索するつもりはないが街の思い出や寂しさが籠っていたようにも思える。失われてしまった街は今でも、そしてこれからも心の中で失われることはないのであろう。

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