あの時は本当にただただ美しい眺めだった

映画「君の名は。」(新海誠)は熱狂的なファンも多く鑑賞した回数が百回を越す強者も散見する。映像も美しく物語のテンポも良い。また、物語も奥が深く見る度に発見がある。そのため何度でも見たくなる気持ちは私も同じだ。そんな作品であるがどれだけ回数を重ねても「始めてみた時」というのは一度きりである。そしてその一度きりの鑑賞体験がこの作品を理解する上で重要ではないだろうか。

ストーリーを箇条書きするとこうなる。

①美しい彗星が映される

②入れ替わり青春を謳歌する

③どんな災害があったか知る

④町を救う作戦

⑤美しい彗星が映される

⑥エピローグ

①と⑤で同じ彗星が登場する。だがその人にとって「初めて見た時」の場合大きな違いがある。それは②③④の鑑賞体験を経ているか否かである。「ただひたすらに美しい眺め」なのだろうか?初めはそうかもしれない。特に今迄新海誠監督作品に触れたことの無い人にとっては衝撃的であっただろう。本当に美しい光景であったと回想する。

楽しい入れ替わりのシーンで東京や糸守青春を謳歌し、やがてその町や恋人、友人が突然消えて了う。他人事と思えないほどに楽しみ落胆したであろう。そしてそれらを救おうと立ち上がる時は手に汗を握っていたであろう。その最中に彗星が現れる。果たしてそれは「ただひたすらに美しい」ものなのだろうか。私は正直よく覚えていない。三葉達の安否を固唾を飲んで見守っていた。心に余裕が無かった。そして一度「我が青春の町、人」のような存在を一度焼き払ったそれに憎悪の念を抱いたように思える。

二回目以降の鑑賞は彗星が何を引き起こしたかを知っているので冒頭のシーンにも複雑な想いが入って了う。最早初めて見た時のように見ることは出来ない。皆様はどうであろうか?一度思い起こしてみて欲しい。

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何故私が今更このことに気が付いたのかというと其のような体験をしたからである。「君の名は。」の原点でもある「閖上スケッチ」はパッと何の知識も無く見た時は松島のように美しかった。しかし、其の解説を読むと東日本大震災の被災地であることを知って当時のニュースを思い出した。そして実際に地元の方の言葉に触れたり、土地の真ん中に立ってみると映像では伝わりきらない重みを感じられた。よく解った。あれが只々美しいだけの絵では無いということを。

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