「君の名は。」飛騨の聖地巡礼の旅~気多若宮神社とか夕暮れとか

営業終了時間ギリギリに入店。山里の旨みがたっぷり塗り込まれたこの一品。一口かぶれば木の実の香りが口の中を満たす。「ん~おいしぃ~」が山々に木霊し青空に消えて行く。完全に同行の二人の気分だ。思えばこれ程のんびりとした旅は久しぶりだ。カメラを携え列車を追ったり奥地を目指して進んでる時は食事に関して言えばいい加減で、兎に角さっと食べられる物を選ぶ。瀧くんもそんな思いであったのではないだろか。そんなことをぼんやり考えていた。


お店を後にして神社へ向かう。線路を渡れば一気に田んぼの真ん中に躍り出る山々を見渡せる素晴らしい場処だ。
気多若宮神社は映画の中では一瞬しか出てこない。しかし、あの作品と神社は切っても切り離せない。それだけに印象に残っているシーンでもある。石段を見るとどこか懐かしい気分になる。
作品では社殿の方は登場しない。だが折角だし行ってみることにする。参道が曲線を描いているので一の鳥居は杜に隠れて了って見えない。気がつけば杜の真ん中に居た。


りっぱな社務所である。無人化する神社も多いが、ここはしっかり守る人が居るのだ。そして立派な石碑もある。「古川祭」と彫られている。説教臭くなって申し訳ないが、やはり神社は時空を越えた出会いの場である。昭和の時代にこの郷土の祭が無形民俗文化財に指定された。平成生まれの私が当時の熱狂する現場に立ち会える筈はない。しかし、この碑からそれを想像する事が出来る。当時の彼らに出会えたような気分だ。

神社の境内の通路は幾本にも分かれており少し冒険出来て楽しい。そのうち杜の向こうの空が燃え始めてきた。彼方にも出口はあるらしい。夕日が呼んでいるようだ。誘われるままに曲がりくねった坂を出ると山里の光景だ。花や野菜がぐんぐん育っている。道端に湧き水を貯えた桶が在ったりタイルのバスタブが捨てているのが如何にも昭和らしい。この坂の上の光景はどうなっているのだろうか。取り敢えず登る。どんどん登る。そして振り向けば茜色だ。野や山や街を包み込んでいる。しばらく自分も飲み込まれて復た進む。けれど経験上判って了う。もうあまり進めないと。間もなく日はとっぷり沈んで了い街路灯が無ければ世の闇に支配されて了う。丁度小さな展望台がある。ここで思いにふけよう。

広告



長い一日であった。列車に乗ってここまで来て、街を巡って野に遊んで、何をやっているのだろう。何がしたのだろう。映画の主人公の瀧くんもこんな気持ちで幽かに明るい山の稜線を眺めていたのだのだろうか。街には明かりが灯っている。
何でもある街だった。駅前や図書館は割りと賑やかだし、疲れを忘れさせてくれる川辺も近い。復た人肌が恋しくなったときは市街地に出れば良いしそこを飛び出して思いっきり走れる田んぼの一本道もある。古川は気ままにさまよえる。それを受け入れて呉れる温かな処である。
「もうそろそろ暗くなりますよ」
軽トラのおじさんが声をかけてくださった。なんか満足だ。駅に向かおう。(続く)

シェア、拡散歓迎です!よろしくお願いします!

シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA