「君の名は。」の核心について探ってみたら「戦争の間接体験」という答えが出て来た。

 約3年前の公開時から様々な考察や解釈がネット上で飛び交っている「君の名は。」(新海誠2016)。単純な男女の関係に留まらない奥深さがある作品です。私もその魅力に惹かれた一人であります。そして色々と考えていたら実は戦争を描いた作品と見る事が出来る事に気が付きました。

ポイントは
・聖地(舞台)が戦跡
・アンネの日記と入れ替わり
・アンネの日記を思わせる表現
・戦争の前線と報道

これらの事から「君の名は。」は戦争の間接的な体験を描いた作品であるとの見方が出来ました。
マグカップの猫の意味や何故美術館でデートしたり神社で出会うかもこう考えればすっきりです。

・直接的な体験と間接的な体験

 初めにこのことについてさらっておきます。
 直接的な体験とは実際に戦争に巻き込まれた体験です。それを描いた作品の例としては「火垂るの墓」(原作野坂昭如1968 アニメ映画高畑勲1988)や「はだしのゲン」(原作中沢啓治
1973-1987アニメ映画真崎守1983)が有名です。また「宇宙戦艦ヤマト」等で有名な松本零士氏のように自身の直接的な体験を作品に反映させている作家もいます。
 一方、「君の名は。」は戦争に巻き込まれる事が無い現代日本が舞台です。また監督も戦後生まれです。恐らく戦争を直接知らないと言う事です。
 しかし、戦争というものを知る事が出来て疑似体験する事が出来ます。それを描いてるのが「君の名は。」です。その事について見て行こうと思います。

聖地(舞台)が戦跡
 物語の舞台になった所をアニメのファンは「聖地」と呼びます。私もその「聖地」を巡礼してみました。そこで戦争や旧日本軍の存在に気付かされました。

・国立新美術館

 奥寺先輩とのデートの場所です。何故ここに広々とした国有地があり美術館を建てられたか。それは戦前軍の施設だったものを国が引き継いでるのです。東京には戦前、軍の施設も数多く在り軍都の一面も有していました。その一つである「歩兵第三連隊」の兵舎がそこにあったのです。この歩兵第三連隊ですが226事件の主力部隊でもあります。クーデター、つまり世界を変えようとした人達に対し上層部のコントロールが一時効かない状態になった訳ですね。そんな事があった場所で写真を見て飛騨に導かれた瀧君は物語の後半の入れ替わりで世界を変えようとして大人達のコントロールが効かない状態になったわけです。まるで226事件の首謀者が「後に続け」と囁いたかのようです。

・須賀神社

 最後に出会った階段がある神社です。皆階段で記念撮影をしていますね。この神社には「三十六歌仙絵」なるものが伝えられています。この絵が戦争により運命を左右されました。
 戦争末期の空襲で本殿は焼かれてしまいました。然し、この絵は疎開、つまり避難させられており無事で私たちが出会う事が出来ます。三葉を初めとする糸守町民と同じです。これをなぞっているように思います。
 身の周りの遺跡から過去の出来事を知ることができるのです。こうやって私達も戦争につながるわけです。
以前書いた聖地巡礼レポートはこちら
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「アンネの日記」と入れ替わり
「君の名は。」の瀧と三葉のコミュニケーションはアンネと私達とのコミュニケーションによく似ています。時間と場所を隔てたコミュニケーションなのです。
 「アンネの日記」とは戦争で亡くなったユダヤ人の女の子の日記です。戦争中ヒトラー率いるナチスドイツはユダヤ人を虐殺していました。見つけて捕まえて殺していたのです。そこでユダヤ人である彼女らは見つからないように隠れ家に身を潜めていたのです。結局見つかってしまい連れ出されてしまいました。後日彼女が記した日記が見つかり戦後出版されたのです。
 そこに記されていた事は隠れ家での日常や戦争に対する想いや思春期ならではの心の動き等様々です。これらの「想い」が何十年という時間やアムステルダムと日本という場所を隔てて私達に届くのです。時間と場所を隔てて想いが伝わる訳です。現実の世界では時間的に逆行させて双方向のコミュニケーションは出来ないのが残念ですが瀧と三葉のコミュニケーションによく似ています。
 「アンネの日記」は著者が現代の日本で言う中学生の年頃に書かれたものです。だから中学生が読むと「時間と場所がズレているけど同じ中学生」という事です。
 あるいはこう考えましょう。瀧は生きていれば20歳の人の17歳の時の想いを受け取った。私達は生きていれば90歳の人の13歳から15歳にかけての声を受け取ったと。
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 「アンネの日記」を想わせる表現
「君の名は。」では「アンネの日記」を思い起こさせる表現が見られます。
・マグカップの猫と日記
アンネは日記に「キティー」と名付けそれを友達だと思って話を聞いて貰うものであるという設定で書かれています。瀧の机の上のマグカップの猫が顔を覗かせるのはスマホの日記を書いている時。猫(=キティ)に話しかけているようです。
・日記でチクる
 アンネと同じ隠れ家に住んでいたペーター君は隠れて女の人の体について書かれている本を読んでいて大人に見つかるなんていう事がありました。何故私が知っているのか。「日記」によってチクられたからです。
 「君の名は。」でチクったのは妹の四葉です。彼女は猫のヘアゴムをしています。彼女もまた「日記」なのです。
・スパークルの歌詞の解釈
 「アンネの日記」と現代日本を掛け合わせていると言えるのです。改めて書くと長くなりますのでこちらを参照ください。
平成末期の日本人の視点で「スパークル」を解釈

アンネの視点で「スパークル」を解釈

アマゾンのリンクです。キンドル版もあります。是非是非ご一読ください

アンネの日記 増補新訂版


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「ニンテンドー・ウォー」と彗星
1991年の湾岸戦争ですが「ニンテンドー・ウォー」とも呼ばれていた戦争。ですなぜ「ニンテンドー」なのでしょうか。それはテレビの画面に映し出されたニュース番組の映像がゲームに似てキラキラしていたからです。確かに緑色の光を放つ夜間の戦闘の様子はレーザーショーや花火を見ているようです。しかし、戦場という事には変わりなく、人が生死を賭けて闘っているのです。
 つまり
・世界中の人々がキラキラとしたものを見ている
・現地では生死がかかっている人々がいる

 という構図なのです。「君の名は。」の彗星が落ちて来るシーンがあります。そこでは世界中の人達がキラキラとした彗星を見ている一方で三葉達は生死をかけて奮闘していますね。同じ構図です。

 平和ボケと言われて久しい国や地域ではゲームや映画の一コマとして映るかもしれません。然しその中では放送することが出来ない程グロテスクな現実があるもの。それを意識してみてはどうでしょうか。
 報道によって私達は遠い土地での戦争を知り疑似体験することができます。ですがそれの捉え方には注意が必要なのでしょう。
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 次作公開前にここ迄突き詰めてみました。考えすぎでしょうか?

シェア、拡散歓迎です!宜しくお願いします。

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