「天気の子」で描かれている人間の底力

 「発破」と「大型貨客船」。両者に共通する功績は田舎と「外」を繋ぎ生活を楽にさせたという事である。

「君の名は。」では雪に閉ざされてしまうような山の中の少女が都会の少年と出会う為に発破を使った。「天気の子」では水に閉ざされた離島の少年が都会の少女と出会う為に大型貨客船を使った。両者の共通点は日本の歴史の中で田舎が繋がりを求めて使った道具を男女が繋がるため使ったことである。

日本の歴史の中で「発破」と「大型貨客船」が果たした役割について確認しよう
 かつて、里山では買い物に出かけるにも徒歩で一日掛かりであった。重たい荷物を持ち峠道を超え町まで行くのにそれだけ掛った。しかも冬は積雪のため通行止めになってしまう。五月でもそれが解除されない峠もある。そのような状況を打破したのが発破なのだ。発破はトンネルを掘るために使われる。爆破させ岩を砕き道を造る。その結果里山から隣町迄距離も短く高低差も無い、更に通年通行が可能な道が出来上がった。

 さるびあ丸のような大型貨客船が登場する以前の離島の生活もまた困難であった。桟橋がまだ建設されておらず船は沖に停泊させた。そこから小舟に積み替えてはしけまで運んだ。陸に上げるにも一苦労であった。島によってはそこからまた崖を上らなければいけなかった。三宅島で聞いた話だが、かつて隣の御蔵島から高校に進学して来た同級生は足が太かった。「何でそんなに足が太いの?」「御蔵島ではこうでないとやっていけんわ」という会話もあったそうだ。米俵を担いで崖上りを繰り返してた結果のようだ。それがコンテナを積んだ大型貨客船が直接接岸できる桟橋が出来てたった5分の停泊であれよあれよとクレーンを使って荷を降ろせるようになった。

二つとも繋がるための道具なのである。

・閉ざされた中で出会う物語。

 新海作品では出会えない時に雪が降る。そして春になると出会える。雪に閉ざされた且ての里山のようだ。「秒速5センチメートル」の「One more time,One more chance」のシーンは雪が降り続く東京で始まり春になったら前へ進める。「君の名は。」のすれ違いは雪が降る中で起こる。春になり雪が無くなると出会える。「言の葉の庭」は雪が降る東屋で幕切れとなる。再会まではもう少し時間がかかりそうだ。
 一方「天気の子」では閉ざされているにも関わらず出会うことが出来る。水に閉ざされているという環境が離島を連想させられる。然し単純に雪が水に変わっただけでは無さそうだ。さるびあ丸を使って上京し水上バスを使って会いに行く。閉ざされた環境ながら移動手段を確保している。季節が過ぎるのを待つだけでなく自らの手で断絶を克服するというのが特徴だ。

「君の名は。」「雲の向こう、約束の場所」等・・・出会う為に春を待たず行動する。然しラストでは春を待つ。
「天気の子」・・・出会う為の行動をラストに持ってくる。春と言うか晴れを待つのはやめる。

 土木とか人間の力強さを描いた作品という見方も出来るのは無いだろうか。ラストでは離島のような厳しい環境に置かれてもそれに打ち勝ち生き延びて行くしぶとさ。さるびあ丸で繋がろうとする力。更に遡れば縄文人が神津島から黒曜石と言う石を届けに海を渡って来た。作中ではラストで島から石が付いた指輪を届ける。またチキン南蛮から安土桃山時代の南蛮貿易を連想するのは考え過ぎだろうか?そんな繋がろうとする力が人間には備わっている筈だ。だからオカルトみたいなものや天候にすがる必要は無い。人柱と言えば生贄と言う解釈もあるが且てはトンネル工事でも生き埋めにする工法が用いられた。(北海道の常紋トンネルが有名)しかし、もう誰も犠牲にせずに繋がる事が出来る筈だ。だから人類はどんな厳しい環境に置からたってもう大丈夫だ。そんなメッセージが込められているようにも思える。

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